「悪役だって死ぬのは怖い」八名信夫さん【インタビュー後編】~日々摘花 第54回~
コラム
芸歴66年、悪役として名を馳せ、「殺された回数は1200回を超える」と笑う八名さん。後編では悪役としての「死」についてのお話や、近年演じることが増えてきた「善人役」への思い、葬儀に対するお考えなどを伺いました。
1200回は殺された!? 悪役人生のはじまり
−−八名さんがプロ野球を引退し、俳優修業をスタートされたのは23歳の時でした。
八名さん:最初は通行人役で、朝から晩まで歩いてばかりだったよ。船員や漁師など衣装を取っ替え引っ替えしてね。美空ひばりさん主演の映画に出たこともある。ひばりさんのアップのシーンで、後ろの埠頭を真っ白な白スーツと帽子にマドロスパイプをくわえて歩くのが俺の役だった。指示された通りに歩いたら、監督が「八名君、君は目立ち過ぎる! もっと向こうを歩いてくれ!」「いや、もっと向こうだ!」。完成した映像を見たら、誰が出ているのかわからなかった。
朝早くからバスに乗せられて横浜まで行って夕方に撮影が終わり、日当は500円くらい。こんなの食えっこないと思ったよ。野球選手時代は、月給5万円はもらっていたからね(当時の大卒初任給の平均は9000円ほど)。半年くらいで車も高級時計も全部消えた。
八名さん:最初は通行人役で、朝から晩まで歩いてばかりだったよ。船員や漁師など衣装を取っ替え引っ替えしてね。美空ひばりさん主演の映画に出たこともある。ひばりさんのアップのシーンで、後ろの埠頭を真っ白な白スーツと帽子にマドロスパイプをくわえて歩くのが俺の役だった。指示された通りに歩いたら、監督が「八名君、君は目立ち過ぎる! もっと向こうを歩いてくれ!」「いや、もっと向こうだ!」。完成した映像を見たら、誰が出ているのかわからなかった。
朝早くからバスに乗せられて横浜まで行って夕方に撮影が終わり、日当は500円くらい。こんなの食えっこないと思ったよ。野球選手時代は、月給5万円はもらっていたからね(当時の大卒初任給の平均は9000円ほど)。半年くらいで車も高級時計も全部消えた。
転機はデビュー2年目。当時の映画界では主要6社が年に1回俳優たちによる「野球まつり」を開催していて、東映と同じく映画を主軸にプロ野球チームも経営していた大映に勝つことが東映の社長の念願だった。この東映対大映の試合で俺がマウンドに立ち、試合に勝ったんだ。そのご褒美だったんだろうな。1年近く経ったころ、テレビ時代劇『新諸国物語・紅孔雀』の主役のひとりに抜擢された。
八名さん:夢見心地だったよ。もうひとりの主役の澤村精四郎(さわむら きよしろう/現2代目澤村藤十郎)君のおかげで『紅孔雀』は人気番組になり、もちろん俺も一生懸命やった。でも、自分に向いていると思えなかった。俺は立ち回りには自信があるけれど、訛りで苦労して当時は長い台詞が苦手だった。おまけに長時間拘束されて出演料は1話3000円足らず。先が見えない、と感じた。
そんな時にドラマで殺される悪役を見てひらめいたんだ。悪役は死んで出番がなくなれば、次の作品に出られる。それに、悪役は脚本や監督からの演技指導でこと細かく指示されることがないから、先輩たちは自由に自分で芝居を作って死ぬところまでを演じていた。主役に殺されればカメラにも大きく映るし、「これだ」と思った。
それで、『紅孔雀』と同時期に端役である映画に出た時に、監督に「俺は身長182センチあります。身体が大きいから、撃たれて倒れた時に砂ぼこりが立って迫力が出ると思います」と悪役をやらせてもらうよう直談判したんだ。
そんな時にドラマで殺される悪役を見てひらめいたんだ。悪役は死んで出番がなくなれば、次の作品に出られる。それに、悪役は脚本や監督からの演技指導でこと細かく指示されることがないから、先輩たちは自由に自分で芝居を作って死ぬところまでを演じていた。主役に殺されればカメラにも大きく映るし、「これだ」と思った。
それで、『紅孔雀』と同時期に端役である映画に出た時に、監督に「俺は身長182センチあります。身体が大きいから、撃たれて倒れた時に砂ぼこりが立って迫力が出ると思います」と悪役をやらせてもらうよう直談判したんだ。
すると、監督が「じゃあ、ここでいっぺん死んでみい」というので、俺は助監督に俺が倒れる場所に普段より灰をいっぱいまいてもらった。衣装部でトレンチコートを借りて、「ヨーイ、スタート!」で殺された時、トレンチコートで風を大きく巻き起こして、倒れ込んだら灰がブワーッと舞いあがった! 監督は喜んで、「お前の言う通りだな。もう、歩かんでいいから、ここへ来て、死ね!」。この日から俺の悪役人生が始まったんだ。
八名さん:以来、何回殺されたかな。最近は善人役が増えているけれど、多い時期には月に大体3回、1年に36回は殺されていたから、1200回は死んでいるだろうね。悪役として食べて行くからには、ただで死ぬわけにはいかない。悪役が残酷に、無残にいやらしく死んでいけばいくほど、主役が引き立つ。1本1本の作品が勉強だったよ。
母の最期の部屋に貼られていた、俺の出演作のポスター
−−1983年には悪役を演じる仲間と「悪役商会」を結成。CMやバラエティー番組、舞台の演出と活躍の場を広げ、1994年、八名さんが59歳の時には「日本映画批評大賞 特別賞」を受賞。同じ年に映画『居酒屋ゆうれい』で演じた善人の魚屋さん役が好評を得たことをきっかけに役柄の善悪問わず幅広い作品に出演されるようになり、現在に至ります。
八名さん:悪役中心でやってきたからこそ、善人役にも深みが出る。だから、悪役以外の役もやりたいと思ったんだ。そこで専属契約していた東映を辞めさせてもらい、東映だけでなくいろいろな会社の作品に出るようになった。日本映画批評家大賞の授賞式では「最近は良い男の役が多くなりました。でも、私は悪役俳優です」と挨拶をしたのを覚えている。
悪役は今でこそ色眼鏡で見られることが少なくなったけれど、昔は違った。役者になって10年経たないころかな。悪役として仕事が増え、東映の撮影所の課長から「八名君、次の撮影から君の楽屋は個室になる。頑張りなさい」と言われ、うれしくておふくろに電話をしたんだ。「おふくろ、喜べ、俺は今度のロケから個室になる。スクリーンのタイトルも3人か5人になって、役も大きくなる。やっとここまで来たぞ」。返って来た言葉は「そんなことより、善人役をやれ。わたしゃ世間に肩身が狭い」。おふくろは、俺が悪役をやっているのが嫌で、俺が俳優になっていることを隠していたらしい。
八名さん:悪役中心でやってきたからこそ、善人役にも深みが出る。だから、悪役以外の役もやりたいと思ったんだ。そこで専属契約していた東映を辞めさせてもらい、東映だけでなくいろいろな会社の作品に出るようになった。日本映画批評家大賞の授賞式では「最近は良い男の役が多くなりました。でも、私は悪役俳優です」と挨拶をしたのを覚えている。
悪役は今でこそ色眼鏡で見られることが少なくなったけれど、昔は違った。役者になって10年経たないころかな。悪役として仕事が増え、東映の撮影所の課長から「八名君、次の撮影から君の楽屋は個室になる。頑張りなさい」と言われ、うれしくておふくろに電話をしたんだ。「おふくろ、喜べ、俺は今度のロケから個室になる。スクリーンのタイトルも3人か5人になって、役も大きくなる。やっとここまで来たぞ」。返って来た言葉は「そんなことより、善人役をやれ。わたしゃ世間に肩身が狭い」。おふくろは、俺が悪役をやっているのが嫌で、俺が俳優になっていることを隠していたらしい。
八名さん:そんな話を『徹子の部屋』で黒柳徹子さんに話した後、帰りの車に「おふくろが亡くなった」と電話が入った。すぐに岡山に飛んで帰り、部屋の扉を開けると、おふくろは親戚に囲まれて微笑むようなやわらかな表情で眠っていた。ふとおふくろの頭の上を見ると、当時善人役で出演していたNHK朝のテレビ小説『純情きらり』(2006年)のポスターが貼られていた。それまで出演作のポスターをいくら送ってもしまい込んだままだったのに……。最後の最後に親孝行できたのかもしれない。
世の中の役に立つ足音を残していきたい
−−以前から八名さんは親孝行だったと思います。ところで、八名さんはご自身の最期について何かお考えをお持ちですか。
八名さん:悪役としては何度も「死に方」を考えたことがあるけれど、自分のことはどうだろう(笑)。ただ、俺も89歳。いろんな人を見送ってきて、一番つらかったのは10年近く前に亡くなった親友との別れ。入院先から「おい八名。もうすぐ退院するから、寿司行こう」と電話がかかってきて、次にかかってきた電話は息子さんからの「父が亡くなりました」。葬儀の帰り、俺を慰めるかのように桜が綺麗だった。
八名さん:悪役としては何度も「死に方」を考えたことがあるけれど、自分のことはどうだろう(笑)。ただ、俺も89歳。いろんな人を見送ってきて、一番つらかったのは10年近く前に亡くなった親友との別れ。入院先から「おい八名。もうすぐ退院するから、寿司行こう」と電話がかかってきて、次にかかってきた電話は息子さんからの「父が亡くなりました」。葬儀の帰り、俺を慰めるかのように桜が綺麗だった。
八名さん:友を見送るのは寂しいものだよ。だから、俺の葬儀は大勢でやってほしいね。わいわい騒いで、食べて飲んでね。「あいつがいなくなって、俺はせいせいしとるんじゃ」とみんなで笑い飛ばしてほしい。
で、俺ね、自分の葬儀を見てみたいんだ。「あん畜生、ろくに手も合わさず酒だけ飲んで行きやがった」「あいつ、調子のいいことばかり言って来やしない」なんて言いながら、映画を観るみたいに。そう考えると、意外と楽しく死んでいけるんじゃないかとも思う。
だけど、それでいて見るのが怖くもある。最初こそ大勢いて楽しそうだけど、一人ひとりお焼香をあげて去って行くのを見ると、怖さの方が先に立って来る気がするんだ。本当は怖がりなのよ、俺。
悪役だって死ぬのは怖い。でも、それを表に出したら役者じゃねえ。うん。これはもう、最後まで芝居で乗り切るしかないな。
−−ありがとうございました。今日の記念に、読者に言葉のプレゼントをお願いできますか。
八名さん:俺の座右の銘は「出会い ふれ合い 人の味」。若いころ、俳優の渡辺文雄さん(故人)から「八名、映画やテレビばかり出ていたらあかんぞ。知らない土地へ行き、人と出会って語り合いなさい。そこに宝があるよ」と教わったんだ。
その言葉がずっと心に残っていて、悪役商会の仲間とは日本中を歩き回った。熊本の八千代座、愛媛の内子座など明治から昭和初期の芝居小屋を巡って芝居をやりながら町の人たちと交流したり、老人ホームや子どもたちの施設を訪ねたり。
東日本大震災の時は4年間で5回南相馬市と気仙沼市を訪ねた。何もなくなった体育館に舞台を作って、音響も照明も何にもない所で悪役商会のショーをやったら「震災があってから初めて笑った」と皆さんが笑い転げて下さった。
で、俺ね、自分の葬儀を見てみたいんだ。「あん畜生、ろくに手も合わさず酒だけ飲んで行きやがった」「あいつ、調子のいいことばかり言って来やしない」なんて言いながら、映画を観るみたいに。そう考えると、意外と楽しく死んでいけるんじゃないかとも思う。
だけど、それでいて見るのが怖くもある。最初こそ大勢いて楽しそうだけど、一人ひとりお焼香をあげて去って行くのを見ると、怖さの方が先に立って来る気がするんだ。本当は怖がりなのよ、俺。
悪役だって死ぬのは怖い。でも、それを表に出したら役者じゃねえ。うん。これはもう、最後まで芝居で乗り切るしかないな。
−−ありがとうございました。今日の記念に、読者に言葉のプレゼントをお願いできますか。
八名さん:俺の座右の銘は「出会い ふれ合い 人の味」。若いころ、俳優の渡辺文雄さん(故人)から「八名、映画やテレビばかり出ていたらあかんぞ。知らない土地へ行き、人と出会って語り合いなさい。そこに宝があるよ」と教わったんだ。
その言葉がずっと心に残っていて、悪役商会の仲間とは日本中を歩き回った。熊本の八千代座、愛媛の内子座など明治から昭和初期の芝居小屋を巡って芝居をやりながら町の人たちと交流したり、老人ホームや子どもたちの施設を訪ねたり。
東日本大震災の時は4年間で5回南相馬市と気仙沼市を訪ねた。何もなくなった体育館に舞台を作って、音響も照明も何にもない所で悪役商会のショーをやったら「震災があってから初めて笑った」と皆さんが笑い転げて下さった。
八名さん:瓦礫の広場で遊んでいる小学生たちに「今、必要なものはないか?」と聞いたら、「おばあちゃんと妹を見つけて欲しい」「家は流されたけど、ここが僕のふるさとなんです」。10歳位の男の子が言った。その子たちや被災地の皆さんに役にたちたいと、“ふるさとの大切さ、家族の絆、思いやりの心”をテーマに、脚本を書き、私費で映画『おやじの釜めしと編みかけのセーター』を創った。2016年、八千代座の公演以来俺の第二の故郷になっている熊本で地震が起きた時には、皆さんに元気になってほしくて、映画『駄菓子屋小春』を自主制作。小中高校生や大人の皆さんに出演から制作、裏方まで一緒に映画を創ってもらった。
今はこの2本を全国で無料上映し、被災地を応援する活動をさせてもらっている。これまで訪ねた場所は90カ所を超えているが、行ったことのない場所がまだまだある。命ある限り、俺にできることはやらせてもらって「少しでも世の中に役立つ足音を残していけたら」と思っている。
今はこの2本を全国で無料上映し、被災地を応援する活動をさせてもらっている。これまで訪ねた場所は90カ所を超えているが、行ったことのない場所がまだまだある。命ある限り、俺にできることはやらせてもらって「少しでも世の中に役立つ足音を残していけたら」と思っている。
~EPISODE:癒しの隣に~
沈んだ気持ちを救ってくれた本・映画・音楽などがあれば教えてください。
『グロリア』だな。あんなすごい映画はない。ギャングのボスの情婦だった女性が行きがかり上、組織に追われている子どもを助けることになって、子ども嫌いだったのに、一緒にニューヨークの街を逃げ回るうちに愛情が芽生えてくる。そのくだりには、いつ観ても感動するよ。「ああ、これが人の気持ちというものだな」ってね。
映画『グロリア』
ジョン・カサヴェテス監督・脚本の『グロリア』は、1980年に公開されたアメリカのアクション映画。元ショーガールのグロリアが、家族を失った少年フィルを守るため、ギャングに追われながら逃避行を繰り広げる。クールで強い女性像を描きつつ、人と人の心の絆を深く掘り下げた感動作。カサヴェテス監督の妻であり、2024年8月に他界したジーナ・ローランズの圧巻の演技が、強さと人間味あふれるキャラクターを魅力的に描き出している。
プロフィール
俳優/八名信夫さん
【誕生日】1935年8月19日
【経歴】岡山県岡山市出身。明治大学から東映フライヤーズ(現日本ハム)に投手として入団。59年、怪我で引退。映画俳優となる。悪役として活躍し、83年悪役商会を結成。CM、講演、舞台と幅広く活躍。自主制作映画『おやじの釜めしと編みかけのセーター』『駄菓子屋小春』を全国で無料上映し、地震や洪水等の被災地を応援する活動を続けている。
【誕生日】1935年8月19日
【経歴】岡山県岡山市出身。明治大学から東映フライヤーズ(現日本ハム)に投手として入団。59年、怪我で引退。映画俳優となる。悪役として活躍し、83年悪役商会を結成。CM、講演、舞台と幅広く活躍。自主制作映画『おやじの釜めしと編みかけのセーター』『駄菓子屋小春』を全国で無料上映し、地震や洪水等の被災地を応援する活動を続けている。
(取材・文/泉 彩子 写真/刑部 友康)