「いまだに夢を見る」小宮孝泰さん【インタビュー後編】~日々摘花 第51回~

コラム
「いまだに夢を見る」小宮孝泰さん【インタビュー後編】~日々摘花 第51回~
舞台「星屑の町」シリーズなどの舞台や映画、ドラマに数多く出演している俳優の小宮孝泰さん。大の落語好きとしても知られ、2011年から主催する役者による落語会「ごらく亭」では高座にも上っています。後編では2012年10月に他界した妻・佳江さんへの現在の思いや、ご自身のこれからについてお話しいただきました。

控えめな妻が強く望んだ“別れのカタチ”

−−佳江さんは、がんの病状を周囲に知られないことを望んでいたそうですね。

小宮さん:「病気は私自身のことだから、それを誰かに知らせる権利は自分にある」と言って、ごく身近な数人にしか知らせていませんでした。周りに気を遣わせたくなかったんでしょうね。今となっては妻の真意はわかりませんが、同情されたくなかったのかもしれません。最後までなるべく自然でいたかったんだと思います。

葬儀についても「あまり大ごとにしたくない」と言っていました。まだ切羽詰まってはいなかったような時期に、「家族3人だけでいい」って。万事控え目な妻らしい発言ですが、彼女の言葉をそのまま受け入れるわけにはいきませんでした。というのも、妻のことを気にかけてくださる方々は、妻自身の友人だけでなく、僕の仕事仲間や友人にもいました。妻の病気のことを周囲にはあまりお伝えしていなかっただけに、家族だけでひっそりと妻を見送れば、皆さんにさみしい思いをさせてしまうかもしれません。

それで、「佳江ちゃんの気持ちはわかるけど、お葬式ってさ、家族が心の整理をしたり、お世話になった方々に最後のごあいさつをする場でもあるんじゃないかな。だから、さすがに家族だけというわけにはいかないよ」と正直に話したんです。すると妻は「派手なことは好きじゃないけど」と断りつつも、「確かに家族だけ、というわけにはいかないかもしれないね」とうなずいてくれました。

ただ、いざ最期が近づいてくると、妻の葬儀のことを考えられるような精神状態ではなかったですね。「あと数日かもしれません」と訪問医の先生に告げられた時も、本当は逃げ出したいくらいでしたから。結局、妻が亡くなった夜にインターネットで葬儀会社を検索し、あまり商業的ではなさそうな近所の葬儀会社にお願いをしました。
猫に触れて嬉しそうな佳江さん(小宮さんご提供)
小宮さん:ご会葬いただいたのは、妻の猫写真仲間や僕たちの友人を中心に100名ほどだったでしょうか。僕はあまり妻のことを自分から皆さんに話しませんでしたが、せめて皆さんの心に佳江のことを少しでも留めておいてほしいなと思って、この日ばかりは妻との思い出をたくさんしゃべったのを覚えています。

仕事仲間や先輩方も予想以上の人数が足を運んでくれて、恐縮しつつも、ありがたかったですね。妻が息を引き取ってから葬儀まで数日あったので、「コント赤信号」の石井くん(ラサール石井さん)をはじめ自宅に弔問に来てくださった方々もいました。皆さん、口々に「病気だとは知らず驚いた」とおっしゃり、「明るくて可愛らしい人だった」と、間近で妻を偲んでくださったのが印象的でした。妻が望んでいたのはこれだったんじゃないかなと合点が行き、「私の病気のことを話さないで」と言った妻との約束を守って良かったと初めて心から思えました。

余談ですが、猫って面白いですね。我が家で飼っていた2匹の猫は、妻の生前はしょっちゅう介護ベッドの周りをウロウロしていたのに、妻が布団に安置されてからは寄り付きませんでした。ちょっと近づいたりもするんだけど、引き返すんですよ。妻があんなに可愛がっていたのに、現金なものだなと思ったりしました。

いくつになっても夢は尽きない

−−佳江さんが亡くなって12年が経つ今、その存在をどのようにお感じになっていますか。

小宮さん:何か、いまだに夢を見るんですよ、妻の。2022年に出演した舞台『王将』で、戦争で夫を亡くした女性が「あなた、亡くなったご主人のことを思い出す?」と聞かれて「そう言えば、このところ思い出さなくなった」と答えたら、相手が「だったら、再婚すれば」と言う場面があったんですね。舞台稽古の時にそのやりとりを側で聞きながら、「俺は佳江の夢を見るよな」とふと思いました。だからどうって話じゃないけど、やっぱり妻のことをまだ思っているんでしょうね

妻が亡くなった直後はいろいろな手続きや葬儀もあって、泣く暇もない感じでした。いきなり亡くなったわけではないから、心の準備もある程度あったんだと思います。さみしさが押し寄せてきたのは、葬儀後泊まっていたお義母さんが帰っちゃった時です。「いよいよ本当にひとりになってしまった」とその日の日記にも書いています。

でも、その後すぐに自主映画の撮影があったりして、忙しさに救われました。それからもさみしさを感じることはありましたが、自暴自棄になって酒に溺れるなんてことがなかったのは、仕事やら何やら、やることがあったおかげです。忙しいってことは、薬になるものですね
思い返せば妻は、僕がやることを助けようとしてくれました。役者の仕事のことや、僕のやりたいこともよくわかっていて、意見を求めると、うなずかされる答えが返ってくることも多かったです。朝鮮鉄道の職員だった僕の父の体験をもとにしたひとり芝居『線路は続くよどこまでも』を2008年に立ち上げた時も、脚本・演出を鄭義信(チョン・ウィシン)監督にお願いすることを提案してくれたのは妻でした。
小宮さん:2011年に始めた役者の落語会「ごらく亭」の名付け親も妻なんですよ。「ごらく亭」は毎年夏に続けてきて、妻が見てくれたのは2回だったかな。10回は続けようと思っているうちに、年に2回開催した年もあり、2024年8月に15回目を迎えました。僕もあと2年で70歳を迎えますから、いずれ規模の見直しは必要かなと考えていますが、妻の遺志でやっているようなところもあるので、細々とでも続けていけたらと思っています。

いくつになっても夢は尽きなくて、ありがたいことに、現在も自分でプロデュースする企画が進行中です。妻は生前、「あなたは、自分のやりたいことをずっと探していた方がいいよ」と言っていました。もう彼女がいるわけじゃないけど、いつも彼女に背中を押されている気がします。

妻が亡くなってから、今の僕は生まれた

−−小宮さんと佳江さんは本当に素敵なご夫婦ですね。

小宮さん:せっかくの記事が台無しになるようなことは言いませんが、夫婦ですから、おたがい綺麗事ばかりで生きている訳じゃなかったですよ(笑)。僕はどちらかというと古風な男で、自分のことを優先するところがあって、妻に弾糾されることも多々ありました。

−−弾糾……。

小宮さん:妻の生前は「俺だって一生懸命やっている」と言い返していましたが、今思えば、笑止千万です。妻が亡くなってから、彼女が遺した大量のメモを僕自身の気持ちを整理するためにテキスト化したのですが、その過程で妻がどれだけ僕のことを慮り、ありとあらゆることに心配りをしていたかを知りました。

本人は口にしませんでしたが、妻は思春期に家庭の事情で苦労して、悲しい思いもたくさんしたはずです。不条理にも思いますが、人間って、悲しいことを知っているほど優しくなれる。妻の死は僕にそれを教えてくれました。

自分より先に亡くなってしまう人もいるのだから、今、周りにいてくれる人たちに優しくしないと。僕がそれをできているかどうかはわからないけれど、妻が亡くなってからは、そう思うようになりました。ただ、自分に余裕がなくなったら、人に優しくなれない。だから、健康には気をつけようと思っています。

妻は僕が一人になってもいいように、料理のレシピを残してくれていました。亡くなる数年前からは僕が料理を作ることもあって、さりげなくポイントを教えてくれたりもしました。おかげで、料理には困っていないんですよ。掃除はちょっと苦手ですけどね。こうして何とか暮らせているのは、妻が僕を育ててくれたからです。
佳江さんの残したレシピ(小宮さんご提供)
妻にはよく「もっと身体のことも考えて」と叱られました。その僕が栄養のことも少し気にしながら料理をしたり、年一回の健康診断も欠かさず受けているなんて、自分でも不思議です。妻が亡くなってから、今の僕は生まれたのかもしれません
−−最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

小宮さん「真面目も休み休み言え!」はどうでしょうか。心理学者の河合隼雄さん(故人)が著書『こころの処方箋』で書かれていた言葉です。もちろん「冗談も休み休み言え」をもじったんでしょう。僕は2004年度の文化庁交流大使としてロンドンに演劇留学したのですが、前年に開催された激励会で当時文化庁長官だった河合先生とご挨拶し、それをきっかけにご著書を読みました。激励会でのスピーチでも河合先生のユーモアと含蓄のある言葉選びに感動したことを覚えています。以来、河合先生のこの言葉を座右の銘にしています。え、色紙に書くんですか? じゃあ、先生のお言葉とともに、妻へのメッセージも書かせていただきます(笑)
小宮さん直筆「真面目も休み休み言え!」と奥さまへ「佳江ちゃん まだ夢見てるよ!」

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
お雑煮がいいかな。お餅が好きだから。うちのお雑煮の具は大根、人参、里芋、小松菜、鳥肉。出汁は醤油味で、焼いたお餅を入れて、青海苔をかける。普通の、田舎雑煮みたいなあれですよ。お雑煮が許されなければ、もうただのお餅だけでいいです。お餅って、日本人が作った最高のごちそうだと僕は思います。

佳江さんのレシピ

妻の佳江さんは料理上手で、味噌や梅干しも手作り。結婚当初は台所に立つことなど想像もできなかった小宮さんも佳江さんの手伝いをするうちに少しずつ料理を覚え、簡単な料理なら作れるようになった。佳江さんが亡くなって10年以上経つ今も、きんぴらごぼうと、きゅうりとわかめの酢の物は佳江さんが遺したレシピで作っている。

プロフィール

俳優・コント赤信号/小宮孝泰さん

【誕生日】1956年3月11日
【経歴】神奈川県小田原市出身。1980年、渡辺正行、ラサール石井とともに「コント赤信号」としてデビュー。30代からは俳優として舞台・ドラマ・映画などで活躍。2004年には文化庁文化交流使としてロンドンに演劇留学し、英語の一人芝居にも挑む。役者による落語会「ごらく亭」を主催し高座にも上がっている。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)