「生まれ変わっても夫婦で」キャシー中島さん【インタビュー後編】~日々摘花 第52回~
コラム
「過去を振り返らず前を向いて、今自分にできることをやってきた」と話すキャシー中島さん。1982年、35歳で始めたキルト教室は現在全国6カ所に広がり、洋服や小物のデザインも手がけてきたほか、2024年2月には東京・三軒茶屋に「キャシーマムカフェ」をオープン。芸能生活も57周年を迎え、舞台のプロデュースでも手腕を発揮しています。後編では、古希を超えてなお輝き続けるキャシーさんの次世代への思いや、エンディングに関する考え方をお話しいただきました。
我が家はお墓も賑やかでピカピカ
−−キャシーさんは現在都内の二世帯住宅で次女の雅奈恵さん一家と一緒に暮らしていらっしゃるそうですね。
キャシーさん:雅奈恵は2015年に結婚しました。私と勝野の結婚記念日が5月5日だからということで、「私たちもママとパパのように仲の良い夫婦になりたい」と言ってくれて、6月6日に結婚式を挙げたんですよ。あの言葉はうれしかったですね。
キャシーさん:雅奈恵は2015年に結婚しました。私と勝野の結婚記念日が5月5日だからということで、「私たちもママとパパのように仲の良い夫婦になりたい」と言ってくれて、6月6日に結婚式を挙げたんですよ。あの言葉はうれしかったですね。
キャシーさん:早いもので、雅奈恵が結婚してもうすぐ10年。孫も3人生まれ、初孫の八瑠子は8歳になります。八瑠子は素直で明るく、楽しい子。2人の弟を気遣う優しい表情は、天国の七奈美にそっくり。七奈美の生まれ変わりのような子です。
七奈美の命日は7月7日なので、毎月3回、7のつく日にはお墓まいりに行くと決めているのですが、最近は八瑠子も一緒に来てくれます。同じお寺に私の母と勝野家のお墓もあって、勝野がブラシを使って丁寧に掃除をするので、どのお墓もいつもピカピカ。八瑠子も幼いころから「じぃじ」のお手伝いをしているので、上手にお墓掃除をするんですよ。
私の母のお墓は富士霊園にあったのですが、なかなかお参りに行けなくて、七奈美が亡くなった後に都内にある今のお寺に移しました。続いて、福岡県久留米市にあった勝野家のお墓もお引っ越しをして、我が家はお墓も賑やかです。
勝野とハルコが綺麗にしてくれたお墓に、お花をお供えするのは私です。七奈美のお墓には彼女が大好きだった百合や芍薬を。お花を飾り、手を合わせると、七奈美と話をしているようで心が落ち着きます。
七奈美の命日は7月7日なので、毎月3回、7のつく日にはお墓まいりに行くと決めているのですが、最近は八瑠子も一緒に来てくれます。同じお寺に私の母と勝野家のお墓もあって、勝野がブラシを使って丁寧に掃除をするので、どのお墓もいつもピカピカ。八瑠子も幼いころから「じぃじ」のお手伝いをしているので、上手にお墓掃除をするんですよ。
私の母のお墓は富士霊園にあったのですが、なかなかお参りに行けなくて、七奈美が亡くなった後に都内にある今のお寺に移しました。続いて、福岡県久留米市にあった勝野家のお墓もお引っ越しをして、我が家はお墓も賑やかです。
勝野とハルコが綺麗にしてくれたお墓に、お花をお供えするのは私です。七奈美のお墓には彼女が大好きだった百合や芍薬を。お花を飾り、手を合わせると、七奈美と話をしているようで心が落ち着きます。
目隠しされた馬のように、前だけ向いて歩いてきた
−−隣で一緒に手を合わせる八瑠子ちゃんの可愛らしい姿も目に浮かびます。キャシーさんご夫婦のお墓を大事にする思いは、自然とお孫さんたちの代にも受け継がれていくのではないでしょうか。
キャシーさん:受け継いでくれたら、とは思います。ただ、子どもも孫もそれぞれの考えがあるでしょうから、「受け継ぐのが難しくなったら、永代供養をしてくれればいい」と勝野は言っています。押しつけることはしたくないというのが勝野の考えで、私も同じです。
お墓に限らず、私も少しずつ次世代への継承を考える場面が増えてきました。長男・洋輔と一緒にやっているキルト関連のビジネスも、ここ数年のうちに洋輔に会社を引き継ぐつもりです。
振り返れば、40代まではとにかく一生懸命。でも、思い描いたことが形にならず、もどかしく感じることもありました。ところが、50代になると、人が自分の話を聞いてくれるようになったんです。それまでやってきたことに目を向けてくれる人が出てきて、「へえ。そんなことができるんだ」「そのアイデア、面白いね」って。そして、60代には協力者も増えて、やってみたかったことを次々と実行できるようになりました。洋服をデザインしたり、福井県・鯖江市の眼鏡業さんと一緒にリーディンググラスを作ったりね。
70代の今は、これまでやってきたことを見つめ、次世代に渡す準備をする時期かな。もちろん、やりたいことはまだまだありますよ。ただ、それを自分が先に立ってやるのではなく、やり方や仕組みを見直したり、育てたりして、次の世代が受け取りやすいものにしたいな、と思っています。
キャシーさん:受け継いでくれたら、とは思います。ただ、子どもも孫もそれぞれの考えがあるでしょうから、「受け継ぐのが難しくなったら、永代供養をしてくれればいい」と勝野は言っています。押しつけることはしたくないというのが勝野の考えで、私も同じです。
お墓に限らず、私も少しずつ次世代への継承を考える場面が増えてきました。長男・洋輔と一緒にやっているキルト関連のビジネスも、ここ数年のうちに洋輔に会社を引き継ぐつもりです。
振り返れば、40代まではとにかく一生懸命。でも、思い描いたことが形にならず、もどかしく感じることもありました。ところが、50代になると、人が自分の話を聞いてくれるようになったんです。それまでやってきたことに目を向けてくれる人が出てきて、「へえ。そんなことができるんだ」「そのアイデア、面白いね」って。そして、60代には協力者も増えて、やってみたかったことを次々と実行できるようになりました。洋服をデザインしたり、福井県・鯖江市の眼鏡業さんと一緒にリーディンググラスを作ったりね。
70代の今は、これまでやってきたことを見つめ、次世代に渡す準備をする時期かな。もちろん、やりたいことはまだまだありますよ。ただ、それを自分が先に立ってやるのではなく、やり方や仕組みを見直したり、育てたりして、次の世代が受け取りやすいものにしたいな、と思っています。
−−会社の後継者がいなくて悩む方たちも多いと聞きます。継いでくれる息子さんがいらっしゃるのは心強いですね。
キャシーさん:皆さんそうおっしゃるし、確かに幸せなことだと思っています。でもね、親の言うことを黙って聞く子はいません(笑)。子には子のやり方があるんですよね。でも、それでいいと思うんです。子は親の付属品じゃないんですもの。
数年前に会社の社長を洋輔に引き継ぎましたが、最初のころはすごくぶつかりましたよ。でも、「じゃあ、ここは私が引くわ。でも、ここは残して、洋輔のやり方を加えたら、面白いことになりそうじゃない?」なんておたがいに折り合いをつけて、私だけでは生まれなかったものが生まれはじめているのが今です。
−−素敵ですね。お話を伺っていると、キャシーさんがどんな状況でも前向きに歩まれていたことに驚きます。
キャシーさん:後ろに戻ることができないの。後ろに戻ると、悲しいことばかり考えてしまうから。だから、もう前を向いて。競走馬が集中して走れるように目隠しのようなもので視野をさえぎるでしょう? あれと同じ。後ろも横も見えないように自分を仕向けて、前だけを向いて歩いてきたって感じです。
キャシーさん:皆さんそうおっしゃるし、確かに幸せなことだと思っています。でもね、親の言うことを黙って聞く子はいません(笑)。子には子のやり方があるんですよね。でも、それでいいと思うんです。子は親の付属品じゃないんですもの。
数年前に会社の社長を洋輔に引き継ぎましたが、最初のころはすごくぶつかりましたよ。でも、「じゃあ、ここは私が引くわ。でも、ここは残して、洋輔のやり方を加えたら、面白いことになりそうじゃない?」なんておたがいに折り合いをつけて、私だけでは生まれなかったものが生まれはじめているのが今です。
−−素敵ですね。お話を伺っていると、キャシーさんがどんな状況でも前向きに歩まれていたことに驚きます。
キャシーさん:後ろに戻ることができないの。後ろに戻ると、悲しいことばかり考えてしまうから。だから、もう前を向いて。競走馬が集中して走れるように目隠しのようなもので視野をさえぎるでしょう? あれと同じ。後ろも横も見えないように自分を仕向けて、前だけを向いて歩いてきたって感じです。
華やかなお葬式もあっていい。眠れる森の美女のように
−−ところで、ご自身のエンディングについて何かイメージはお持ちですか?
キャシーさん:お葬式は来てくださった方が暗い気持ちにならない、明るくて華やかな雰囲気がいいなと思っています。30年ほど前、友人と一緒に百貨店を会場にお葬式のイベントをやったことがあるんです。「終活」という言葉もない時代、お葬式のイベントを百貨店でやるのは日本で初めてだったそうです。
このイベントで、なんと私がデザインしたアクリルの棺を用意してくださったんですよ。棺に色とりどりの美しいキルトを敷いて、「『眠れる森の美女』みたい」なんて話しながら私が横たわり、お花でいっぱいにして…。これが結構好評でした。
最後の姿は記憶に残りますから、大切な人たちには綺麗な姿を見ていただきたいですね。その点、アクリルの棺は美しくて皆さんにもおすすめしたいです。燃やしにくいから火葬には適さないかもしれませんが、そこは工夫をしていただいて(笑)。
もうひとつ、勝野とは「できれば一緒に逝けたらいいよね」と話をしています。じゃないと、残された方がさみしいよねって。生まれ変わった時のことも、相談済みですよ。「あなたは勘が悪いから私のことを見つけられないかもしれないけれど、私は勘がいいから大丈夫。絶対に見つけるから」なんて言って笑い合っています。
キャシーさん:お葬式は来てくださった方が暗い気持ちにならない、明るくて華やかな雰囲気がいいなと思っています。30年ほど前、友人と一緒に百貨店を会場にお葬式のイベントをやったことがあるんです。「終活」という言葉もない時代、お葬式のイベントを百貨店でやるのは日本で初めてだったそうです。
このイベントで、なんと私がデザインしたアクリルの棺を用意してくださったんですよ。棺に色とりどりの美しいキルトを敷いて、「『眠れる森の美女』みたい」なんて話しながら私が横たわり、お花でいっぱいにして…。これが結構好評でした。
最後の姿は記憶に残りますから、大切な人たちには綺麗な姿を見ていただきたいですね。その点、アクリルの棺は美しくて皆さんにもおすすめしたいです。燃やしにくいから火葬には適さないかもしれませんが、そこは工夫をしていただいて(笑)。
もうひとつ、勝野とは「できれば一緒に逝けたらいいよね」と話をしています。じゃないと、残された方がさみしいよねって。生まれ変わった時のことも、相談済みですよ。「あなたは勘が悪いから私のことを見つけられないかもしれないけれど、私は勘がいいから大丈夫。絶対に見つけるから」なんて言って笑い合っています。
−−ごちそうさまです(笑)。夫婦円満の秘訣は何でしょうか。
キャシーさん:ぶつかることもありますが、私が鳥みたいな性質なので、すぐ忘れちゃうんです。勝野も勝野で、酔っ払って帰ってきて私が怒っても翌朝にはケロっと忘れて「おはよう」とニコニコ。そうなると怒れないですよね。ニコニコしている人に怒るのも、女がすたるじゃないですか。
−−(笑)。お話が楽しくて時間を忘れそうです。最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いできますか。
キャシーさん:私が一番好きな言葉は、「まぁ、いいっか」なんです。ままならないことに出合った時に、そこで立ち止まったら、そのまま。それよりは「まぁ、いいっか」って一回置いて、一歩前に出ちゃった方がいい。つぶやくと肩の力が抜けますし、自分の気持ちに区切りをつけるのにも便利な言葉です。
キャシーさん:ぶつかることもありますが、私が鳥みたいな性質なので、すぐ忘れちゃうんです。勝野も勝野で、酔っ払って帰ってきて私が怒っても翌朝にはケロっと忘れて「おはよう」とニコニコ。そうなると怒れないですよね。ニコニコしている人に怒るのも、女がすたるじゃないですか。
−−(笑)。お話が楽しくて時間を忘れそうです。最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いできますか。
キャシーさん:私が一番好きな言葉は、「まぁ、いいっか」なんです。ままならないことに出合った時に、そこで立ち止まったら、そのまま。それよりは「まぁ、いいっか」って一回置いて、一歩前に出ちゃった方がいい。つぶやくと肩の力が抜けますし、自分の気持ちに区切りをつけるのにも便利な言葉です。
~EPISODE:さいごの晩餐~
「最後の食事」には何を食べたいですか?
「ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド」にある「鉄板焼 心」のシェフ・木下学さんが焼く神戸牛ステーキです。私は全国6カ所でキルト教室を開いていて、神戸のキルトサロンは阪神・淡路大震災から3年後の1998年から始めました。以来毎月1回神戸に通い、ここ8年は「ラ・スイート神戸」の一室をお借りして海を眺めながら生徒さんとキルトを楽しみ、夜のオフタイムは決まって「鉄板焼 心」へ。お肉がおいしいだけでなく、素材を厳選した前菜の数々が絶品で、常にチャレンジを続ける木下シェフの姿に元気をもらっています。
鉄板焼 心
神戸牛をはじめ但馬牛、淡路牛、丹波篠山牛など厳選された兵庫県のブランド牛をオーシャンビューの鉄板焼きカウンターで楽しめる「鉄板焼 心」(ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド2階)。牛肉以外の食材も産地直送の有機野菜や瀬戸内海や日本海で水揚げされた魚介類などシェフが自ら生産地に足を運んで厳選されたものばかり。神戸牛は赤穂の塩をはじめ10種類の特製薬味で提供するなど食材の可能性を最大限に引き出した料理を堪能できる。
プロフィール
タレント・キルト作家/キャシー中島さん
【誕生日】1952年2月6日
【経歴】ハワイ・マウイ島生まれ、横浜育ち。1969年、モデルとしてデビュー。現在はタレントとして活躍する一方で、パッチワーク作家として創作や指導に当たっている。国内外のキルトコンテストにて数々の受賞歴があり、著書も多数。
【誕生日】1952年2月6日
【経歴】ハワイ・マウイ島生まれ、横浜育ち。1969年、モデルとしてデビュー。現在はタレントとして活躍する一方で、パッチワーク作家として創作や指導に当たっている。国内外のキルトコンテストにて数々の受賞歴があり、著書も多数。
(取材・文/泉 彩子 写真/鈴木 慶子)