「志村けんさんの遺言」ものまねタレント・コロッケさん【インタビュー前編】~日々摘花 第49回~

コラム
「志村けんさんの遺言」ものまねタレント・コロッケさん【インタビュー前編】~日々摘花 第49回~
1980年8月にお笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」でデビューし、芸能生活44周年を迎えるコロッケさん。故・淡谷のり子さんから岩崎宏美さん、美川憲一さん、五木ひろしさん、BTSまでネタのレパートリーは500種類を超えます。前編では故人のものまねをする際に大切にしていること、そして、芸人の先輩であり、ものまねもしてきた志村けんさんとの別れについてお話しいただきました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

ものまねを封印し、初めて地声で歌った『いい日旅立ち』

−−コロッケさんの芸歴は40年を超え、ものまねの対象となった人物のうち、鬼籍に入られた方の数も増えてきましたね。

コロッケさん:ここ1年だけでも、谷村新司さん、八代亜紀さんなどお世話になった方々が立て続けに亡くなりました。何度経験しても、お別れには慣れることができません。やっぱり、こたえますね。

ものまねをさせていただいた方がお亡くなりになると、実のところ、その方のものまねについて今後どうするのがいいのかなと考えます。というのも、僕のものまねって結構ふざけていて、よくよく見ると、ご本人に似ていないんですよね。とくに長い間ものまねをさせていただいている方だと、僕の中で進化し過ぎて、似ても似つかない“生き物”になっていたりします。五木ロボットなんてその最たるもので、言うまでもなく五木ひろしさんはロボットではありません。

本当に皆さん、よく許してくださっているなと思います。いや、必ずしも許されてはいません(笑)。ご本人やファンの方々に怒られることもしょっちゅうですが、笑ってくださる人たちがいるから、やめられない。感謝と謝罪でひたすら頭を下げながら、ふざけたものまねをどんどんやらせてもらっています。

でも、その方がお亡くなりになったら、話は別です。ご遺族やファンの皆さんがものまねを許してくださるかどうかが一番大切ですし、許してくださっても、僕自身の気持ちの整理がつかず、亡くなってすぐにはものまねができません。
コロッケさん:最近では、谷村さんが亡くなった時もそうでした。ご家族から「ものまねを続けていいですよ」と言っていただきましたが、できませんでした。ただ、亡くなって2カ月ほど経ったころにオーケストラをバックにものまねをするコンサートを開催し、五木さんや玉置浩二さんなど現役世代のものまねは思いっ切りふざけさせてもらいましたが、谷村さんの『いい日旅立ち』はものまねを封印し、初めて地声で歌いました

この時に「ちゃんと歌ってくれてうれしい」という声と「谷村さんのものまねをする人はコロッケさんしかいないから、ものまねで聴きたい」という声に皆さんの反応がわかれたんですよ。谷村さんのご家族にも「谷村も喜びますから、どうぞものまねで歌ってください」とお手紙をいただきました。

皆さんが喜んでくださるのなら、亡くなった人のことを「こんな素敵な人がいたんだよ」と伝えるのも、ものまねだからこそできることのひとつなのかもしれません。ただ、その方の生前と同じものまねをやって魅力が伝わるかと言えば、そうではないですよね。伝えていけるもの、伝え続けたいものは何だろうと考えますし、それはお一人ごとに違う。その方の人物像や歌をしっかり伝えて行くことが、僕にできる供養なのかなと思っています。

一番つらかった、大恩人・志村けんさんとの別れ

−−コロッケさんは2025年にデビュー45周年を迎えます。長年のキャリアの中で、芸能界の先輩とのお別れも少なからず経験されてきたと思いますが、とりわけ忘れられないのはどなたとのお別れでしょうか。

コロッケさん:おひとりだけ名前を挙げるとすれば、志村けんさんです。志村さんとの別れは一番つらかった。コロナ禍でお葬式ができなかったこともあって、いまだに信じられない思いです。

志村さんには言葉で言い尽くせないほど感謝をしています。僕は1985年に始まったモノマネ番組『第1回爆笑!スターものまね王座決定戦』に出場してから、ものまね芸人として注目していただけるようになりましたが、番組の方針と考えが合わなくなって90年代初めに降板し、仕事がほとんどなくなってしまった時期がありました。この時に志村さんが声をかけてくださり、『志村けんのだいじょうぶだぁ』に出演させていただいたおかげで、再び少しずつ仕事をいただけるようになったんです。

僕が志村さんをすごいと思うのは、生涯を通してお笑いを愛していらっしゃったところ​です。芸人さんの中にはちょっと売れるとお笑いで新たな挑戦をすることがなくなり、テレビ番組のMCや俳優などお笑い以外の仕事にシフトしていく人もいます。お笑い以外の仕事をすること自体はいいのですが、最初からお笑いを単なるステップとみなすような考え方も最近はあって、そういう考え方に触れると、僕はすごく悲しいし、さみしくなります。

でも、志村さんは違いました。あれだけ名を知られ、たくさんの冠番組を持っても、ご自分の根っこにあるものを失わず、コントを大切にし続けた。コントで新しいことを追い求めていました。だから、志村さんとお会いすると元気になれたんです。僕も好きなことをやり続けよう、ものまねで新しいことをやっていこうと思えました。

志村さんの葬儀は「バカ殿」で見送りたかった

−−志村さんとプライベートでお会いになることもありましたか?

コロッケさん:しょっちゅうではありませんが、お会いした時には飲みながらふたりで語り明かしました。いろいろな話をしましたが、夜が更けてくると、決まって芸事の話になりました。今の笑いについて、とか、これから笑いはどうなって行くんだろうという話が多かったですね。

最後のころは、家族みんなで楽しめる笑いがこんなになくなっていいのかな、という話をよくしました。志村さんの笑いって、世代を超えた笑いですよね。志村さんのことを知らない幼稚園児でも、僕が志村さんの真似をすれば笑う。理屈抜きに、家族みんなが笑える笑いです。

一方、今の笑いはおじいちゃん、おばあちゃんの世代と、お父さんやお母さん、若者、子どもたちの笑いが違います。それ自体はいいんだけど、残念なのは世代間をつなぐ笑いが減っていること。例えば、テレビのお笑いトーク番組もそうです。私生活や家族のことなどその芸人さんのことを知っていることが前提の話が多くて、学生の内輪話の延長のような笑いになっている。「わかる人だけ、わかればいい」という笑いだから、違う世代間で一緒に笑えないんです。

でも、僕自身はやっぱり、家族みんなで楽しんでもらえる笑いがやりたいんですね。孫が笑う表情を見て、おじいちゃんとおばあちゃんが微笑んだり、お父さんやお母さんが一緒に笑っている姿を見て子どもも笑ったり……。まさに志村さんがやってきたような笑いを僕もやりたいし、なくしたくない。

言葉にしなくても、志村さんは僕のそういう思いをわかってくれていました。ですから、「家族みんなで楽しんでもらえる笑いを守るために、これからのお笑い界には何が大事なんだろう」という話になると、僕たちらしからぬ真剣な空気になったものです。
コロッケさん:ふたりで飲んだ最後の夜も、そうでした。お笑いで大事なことはたくさんあるけれど、一番は人に笑ってもらいたい、喜んでもらいたい、楽しんでもらいたいという思い。ところが、今の芸人さんたちは「自分や周りが楽しければいい」という笑いで満足しがちだから、自分たちのことを知らない人に面白さを伝えるだけの芸が磨かれないのでは、という話を僕がしたんですね。自戒を込めて、「シンプルにお客さんに喜んでもらいたい、という気持ちこそが大事だと思うんです」って。

すると黙っていた志村さんが口を開いて、「いや、俺もそう思うよ」とおっしゃったんです。志村さんが亡くなって3年経つ今も、あの言葉の響きを思い出します。

あの夜、ふたりでしたお笑いの今とこれからの話は、志村さんから僕への遺言だと受け止めています。志村さんのような存在はこの世にふたりといないけれど、僕も志村さんのように最後まで笑いを追求していきたい。ものまねで皆さんに喜んでもらうためにはどうすればいいか、その答えを探し続けたいです。

もし、志村さんの葬儀ができていたら、笑いで見送りたかったです。「バカ殿」で参列? やりたかったですね。みんなで散々バカなことをやって、志村さんに「お前ら、ふざけんなよ」って言ってもらいたかった。ドリフのコントのように、棺から飛び出してきてほしかったです。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
故郷・熊本の水前寺公園(水前寺成趣園/すいぜんじじょうじゅえん)です。中学時代に新聞配達をしていて、朝刊を早めに配り終えた日にはよく水前寺公園をひとまわりして帰りました。今は入園料が必要ですが、当時、早朝は無料で入れたんです。毎朝3時に起き、多い時で400軒ほど新聞を配達したでしょうか。雨の日も風の日もあって大変でしたが、優しい言葉をかけてくれる人たちにも出会いました。水前寺公園はあのころの思い出が詰まった場所。本名の滝川広志に戻れる場所なんです。

水前寺公園

「水前寺公園」の名で地元の人々から親しまれている水前寺成趣園。熊本藩主の細川家により江戸時代に造園された桃山式の回遊式庭園で、面積は7万3000平方メートル。阿蘇の伏流水が湧き出る池を中心に東海道五十三次の景観を模したと言われる美しい庭園が広がる。「僕にとって“再び訪れたい場所”というのは、“記憶を辿って行くことでまた新しい記憶が生まれるような場所”。水前寺公園には折に触れて立ち寄りますが、季節や時代で景色の見え方が変わり、懐かしいだけでなく新たな発見がある。だから、飽きないんです」とコロッケさん。
写真提供:熊本県観光連盟

プロフィール

ものまねタレント/コロッケさん

【誕生日】1960年3月13日
【経歴】熊本県熊本市出身。1980年、NTV「お笑いスター誕生!!」でデビュー。テレビやラジオで活躍する一方、全国各地でのものまねコンサートや大劇場での座長公演を定期的に務める。現在のものまねレパートリーは500種類以上。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)