「“今”の積み重ねが“終活”」フリーアナウンサー・遠田恵子さん【インタビュー前編】~日々摘花 第55回~
コラム
NHK「ラジオあさいちばん」で15年間キャスターを務め、現在は『ラジオ深夜便』(NHKラジオ第一放送)のインタビューコーナー「わたし終い(じまい)の極意」や『視覚障害ナビ・ラジオ』(NHKラジオ第二放送)の企画・出演・制作などを担当されている遠田恵子さん。前編では仕事を通して出合い、自身のライフテーマでもある「老年学」や、数多くのシニア世代へのインタビューを通して学んだ死生観について伺いました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。
102歳の金言「毎日新品の明日が来る」
−−遠田さんはアナウンサーとして長年活躍し、近年はディレクターとして番組制作にも携わっていらっしゃいます。番組づくりを通して数多くの出会いがあったと思いますが、特に印象に残っている方をおひとり挙げていただくとすれば、どなたでしょうか。
遠田さん:15年間担当したNHK『ラジオあさいちばん』で四国に取材に伺った際にお会いした、当時102歳の男性です。「長年介護してきた妻を最近看取り、ジョギングを始めた」とおっしゃるので理由を聞くと、「老後のため」と答えが返ってきて驚きました。
遠田さん:15年間担当したNHK『ラジオあさいちばん』で四国に取材に伺った際にお会いした、当時102歳の男性です。「長年介護してきた妻を最近看取り、ジョギングを始めた」とおっしゃるので理由を聞くと、「老後のため」と答えが返ってきて驚きました。
−−102歳はまだ老後ではない、と。
遠田さん:微塵も老後とは思っていないご様子でした。というのも、証拠となるエピソードがあるんです。お会いする前に最寄り駅に着いたことをご連絡したところ、「若い者に迎えに行かせるから」と言ってくださったのですが、現れたのは70代の男性でした(笑)。
本当にポジティブな方でしてね。ジョギングといっても、100歳を超えていらっしゃるから、いきなり何キロも走れるわけではないんです。最初の目標は、玄関からすぐ近くの場所まで早足で歩くこと。それができたら少しずつ距離を伸ばし、ようやく家の周りを一周できるようになったそうです。
遠田さん:微塵も老後とは思っていないご様子でした。というのも、証拠となるエピソードがあるんです。お会いする前に最寄り駅に着いたことをご連絡したところ、「若い者に迎えに行かせるから」と言ってくださったのですが、現れたのは70代の男性でした(笑)。
本当にポジティブな方でしてね。ジョギングといっても、100歳を超えていらっしゃるから、いきなり何キロも走れるわけではないんです。最初の目標は、玄関からすぐ近くの場所まで早足で歩くこと。それができたら少しずつ距離を伸ばし、ようやく家の周りを一周できるようになったそうです。
遠田さん:年齢を理由にあきらめず、ご自分のペースで一歩ずつ積み重ねて目標にたどり着く。その姿が忘れられません。同時に心に残っているのは、その方の「毎日新品の明日が来る」という言葉です。ジョギングを始め、「明日はどこまで走れるかな」と考えるとわくわくして眠れない。そんなお話を聞かせてくださった後の言葉でした。
100歳を超えた方々を「百寿者」と呼びますよね。私はシニア世代のリスナーが多い早朝番組を長く担当してきたこともあって、百寿者の方のお話もたくさん伺ってきましたが、皆さん、例外なく面白い。年齢を重ね、さまざまなことを乗り越えてきたからこそ語れる、その方だけの言葉を持っています。そういう言葉に出合う度に、この仕事をしていて良かったと感じます。
100歳を超えた方々を「百寿者」と呼びますよね。私はシニア世代のリスナーが多い早朝番組を長く担当してきたこともあって、百寿者の方のお話もたくさん伺ってきましたが、皆さん、例外なく面白い。年齢を重ね、さまざまなことを乗り越えてきたからこそ語れる、その方だけの言葉を持っています。そういう言葉に出合う度に、この仕事をしていて良かったと感じます。
「老年学」の修士号を42歳で取得
−−遠田さんは2016年4月から『ラジオ深夜便』の人気コーナー「わたし終いの極意」を担当し、さまざまなゲストに「人生最期の日を迎えるまでの過ごし方」をインタビューされています。ディレクターとして企画・制作にも携わっていらっしゃいますね。
遠田さん:「わたし終いの極意」を企画した背景には、「老年学」の第一人者である柴田博先生(桜美林大学名誉教授)との出会いがあります。老年学は医学や生理学、社会学、心理学などさまざまな視点から高齢者や高齢者に関わる問題を研究する学際的な学問で、柴田先生は2002年に国内で初めて桜美林大学に設立された老年学の大学院課程の立ち上げに貢献された方です。
遠田さん:「わたし終いの極意」を企画した背景には、「老年学」の第一人者である柴田博先生(桜美林大学名誉教授)との出会いがあります。老年学は医学や生理学、社会学、心理学などさまざまな視点から高齢者や高齢者に関わる問題を研究する学際的な学問で、柴田先生は2002年に国内で初めて桜美林大学に設立された老年学の大学院課程の立ち上げに貢献された方です。
遠田さん:私が柴田先生に初めてお会いしたのは2002年。『ラジオあさいちばん』のキャスターになって6年目でした。今でこそ倉本聰さん脚本のドラマ『やすらぎの郷』(2017年)や、映画『90歳何がめでたい』など等身大のシニアを主役にしたヒット作が生まれるなどメディアにおけるシニア世代の取り上げ方が変わってきましたが、当時は「痴呆」や「嫁いびりの姑」といった言葉に象徴されるネガティブなものが主流だったように思います。
一方、私自身が出会ったシニアの方々の姿は、当時のメディアで描かれていたシニア像とは異なるものでした。それは取材でお話を伺った方たちばかりではありません。『ラジオあさいちばん』には60代以上のリスナーが多く、感想やご意見のお葉書をよくいただきました。このお葉書がまさに知恵の宝庫だったんです。四季折々の伝統行事や日本語の美しい使い方などたくさんのことを学ばせていただき、シニア世代の方々の力強さ、明るさを感じていました。
そんな時に番組の健康コーナーで柴田先生にお話を伺うことになり、先生が書かれた『8割以上の老人は自立している!』という本を読んで、自分が番組づくりを通して感じていたシニア像が間違っていなかったと思いました。同時に老年学という学問があることを初めて知り、興味を持ちました。「老年学」を学んでその知見を番組づくりに生かし、「年を重ねることは、弱っていくことではない」と世の中に伝えたい、という思いが湧いてきたんです。
そこで、仕事を続けたまま40歳で大学院に入学し、2年で修士課程を修了しました。修士論文のテーマは「高齢者とメディア」。午後10時に授業が終わり、午前2時半に起きて仕事に出かける毎日で、体力的には大変でしたが、とても充実していました。
一方、私自身が出会ったシニアの方々の姿は、当時のメディアで描かれていたシニア像とは異なるものでした。それは取材でお話を伺った方たちばかりではありません。『ラジオあさいちばん』には60代以上のリスナーが多く、感想やご意見のお葉書をよくいただきました。このお葉書がまさに知恵の宝庫だったんです。四季折々の伝統行事や日本語の美しい使い方などたくさんのことを学ばせていただき、シニア世代の方々の力強さ、明るさを感じていました。
そんな時に番組の健康コーナーで柴田先生にお話を伺うことになり、先生が書かれた『8割以上の老人は自立している!』という本を読んで、自分が番組づくりを通して感じていたシニア像が間違っていなかったと思いました。同時に老年学という学問があることを初めて知り、興味を持ちました。「老年学」を学んでその知見を番組づくりに生かし、「年を重ねることは、弱っていくことではない」と世の中に伝えたい、という思いが湧いてきたんです。
そこで、仕事を続けたまま40歳で大学院に入学し、2年で修士課程を修了しました。修士論文のテーマは「高齢者とメディア」。午後10時に授業が終わり、午前2時半に起きて仕事に出かける毎日で、体力的には大変でしたが、とても充実していました。
100名に聞いた“わたし終いの極意”とは?
−−「死」や「最期」について語るのは抵抗がある、という人も多いように思います。老年学を学んだ後に、「わたし終いの極意」をテーマに番組を企画されたのはどうしてだったのでしょうか。
遠田さん:最近では「終活」という言葉も広まってきましたが、死をタブー視する風潮は確かに日本では強いですね。ただ、人生のゴールは誰にも訪れます。ゴールまでの時間をいかによりよく生きるか。ゲストの皆さんのお話から、シニア期をより豊かに暮らすためのヒントをリスナーに届けられるのではと考えました。
「わたし終いの極意」が始まって9年。100名を超えるゲストにご登場いただきました。皆さんが「人生最期の日を迎えるまでの過ごし方」について語る表情は、企画段階で想像していた以上に力強く、大らか。インタビューの最後に「わたし終いの極意」をひと言でお答えいただくのですが、「毎日が誕生日」(アグネス・チャンさん)、「朝ごとに生まれよ、私」(新川和江さん)、「チャーミングな年寄りになる!」(毒蝮三太夫さん)など、どなたのお言葉もとても素敵で、毎回楽しみにしています。
遠田さん:最近では「終活」という言葉も広まってきましたが、死をタブー視する風潮は確かに日本では強いですね。ただ、人生のゴールは誰にも訪れます。ゴールまでの時間をいかによりよく生きるか。ゲストの皆さんのお話から、シニア期をより豊かに暮らすためのヒントをリスナーに届けられるのではと考えました。
「わたし終いの極意」が始まって9年。100名を超えるゲストにご登場いただきました。皆さんが「人生最期の日を迎えるまでの過ごし方」について語る表情は、企画段階で想像していた以上に力強く、大らか。インタビューの最後に「わたし終いの極意」をひと言でお答えいただくのですが、「毎日が誕生日」(アグネス・チャンさん)、「朝ごとに生まれよ、私」(新川和江さん)、「チャーミングな年寄りになる!」(毒蝮三太夫さん)など、どなたのお言葉もとても素敵で、毎回楽しみにしています。
いくつになっても生き生きと毎日を過ごしている方々に共通しているのは、今を一生懸命生きる姿。「終活」と言うと先のことのような気がしていましたが、今日・夜・明日、そのつながりがゴール。「“今”の積み重ねが“終活”」と、さまざまな人生の先輩へのインタビューを通して教えていただきました。私も少しでも皆さんの姿に近づきたい、と思っています。
~EPISODE:追憶の旅路~
人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
日本語補習授業校講師として1年半滞在した米国・メリービルです。テネシー州東部の田舎町で、自然豊かで治安も良く、暮らしやすい場所でした。職場はメリービル大学の構内にあり、野生のリスが走り回る光景に目を細めたものです。当時の私は30代前半。故郷・青森のテレビ局を退社して渡米しました。知らない国でひとりで暮らしはじめたあのころの、期待と不安が入り混じった思いとともにメリービルの美しい景色を思い出します。
メリービル大学
遠田さんが講師をしていた日本語補習授業校はメリービル大学のキャンパス内にあり、毎週土曜日に授業が行われている。メリービル大学は世界遺産に登録されているグレートスモーキーマウンテンズ国立公園の近くにあり、総面積は東京ドームの26倍にあたる約300エーカー。自然豊かで、夏には蛍も鑑賞できるそう。「ちょっと日が暮れかけたころにふわっ、ふわって飛ぶんです。すごく優しい光がたくさん。あの光景が忘れられません」と遠田さん。
プロフィール
アナウンサー/遠田恵子さん
【誕生日】1963年10月14日
【経歴】青森県上北郡六ヶ所村出身。青森テレビアナウンサー、米国での日本語補習授業校講師、日本語ラジオ放送局アナウンサーを経てフリーに。帰国直後の1997年から15年間、NHK「ラジオあさいちばん」キャスターを務め、朝の声として親しまれる。現在は「ラジオ深夜便」、「視覚障害ナビ・ラジオ」などラジオ番組の企画・出演・制作を手がけるほか、フェリス女学院大学などで音声表現の授業を担当。桜美林大学老年学総合研究所連携研究員としても活動している。また、ふるさとをPRする「ろっかしょ応援大使」としても奮闘中。
【誕生日】1963年10月14日
【経歴】青森県上北郡六ヶ所村出身。青森テレビアナウンサー、米国での日本語補習授業校講師、日本語ラジオ放送局アナウンサーを経てフリーに。帰国直後の1997年から15年間、NHK「ラジオあさいちばん」キャスターを務め、朝の声として親しまれる。現在は「ラジオ深夜便」、「視覚障害ナビ・ラジオ」などラジオ番組の企画・出演・制作を手がけるほか、フェリス女学院大学などで音声表現の授業を担当。桜美林大学老年学総合研究所連携研究員としても活動している。また、ふるさとをPRする「ろっかしょ応援大使」としても奮闘中。
(取材・文/泉 彩子 写真/鈴木 慶子)
インタビュー後編の公開は、1月31日(金)です。お楽しみに。