「90歳、好きを貫く」玉田元康さん【インタビュー後編】~日々摘花 第56回~
コラム
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90歳の今も歌い続けるボニージャックスの玉田元康さん。2025年3月にはソロアルバムもリリースします。後編では、妻の介護と別れをきっかけに始めた老人ホームでの仕事で人々と触れ合いながら、歌い続ける日々への思いを伺いました。
驚くなかれ。卒寿のソロデビュー
─昨年(2024年)9月に鹿嶌さんが亡くなり、ボニージャックスのメンバーは吉田秀行さんと玉田さんのおふたりになりました。「新生ボニージャックス」の感触はいかがですか。
玉田さん:正直、新鮮で楽しいです。ずっと4人でやってきて、自然と役割が決まっているようなところがありましたが、ふたりになって、おたがい境界が広がっているような感じです。吉田もね、父親よりも年上の3人に囲まれて遠慮がちでしたが、うるさ方が逝っちゃったせいか、最近はステージでも非常にのびのびしゃべります(笑)。
吉田は音域が広くて柔らかい声をしているので、内声(音域の中間となるパート。これに対して音域の端となるパートを外声と呼ぶ。外声が主旋律、内声がハーモニーを担当することが多い)にぴったりなんです。それだけに混声四部合唱では個性を出しづらかったと思いますが、今は吉田(テノール担当)は高音、僕(バス担当)は低音とコントラストもはっきりしていて、歌も何だか自信を持って歌っていますね。
玉田さん:正直、新鮮で楽しいです。ずっと4人でやってきて、自然と役割が決まっているようなところがありましたが、ふたりになって、おたがい境界が広がっているような感じです。吉田もね、父親よりも年上の3人に囲まれて遠慮がちでしたが、うるさ方が逝っちゃったせいか、最近はステージでも非常にのびのびしゃべります(笑)。
吉田は音域が広くて柔らかい声をしているので、内声(音域の中間となるパート。これに対して音域の端となるパートを外声と呼ぶ。外声が主旋律、内声がハーモニーを担当することが多い)にぴったりなんです。それだけに混声四部合唱では個性を出しづらかったと思いますが、今は吉田(テノール担当)は高音、僕(バス担当)は低音とコントラストもはっきりしていて、歌も何だか自信を持って歌っていますね。
玉田さん:一方で、こんなこともありました。鹿嶌が亡くなって1カ月後、鹿児島で開催されたジョイントコンサートで初めて吉田とふたりで歌った時のこと。西脇と鹿嶌はいないのに、「ボニージャックス独特のハーモニーが聞こえてきた」と周囲から言われたんです。
高田(真理)さん(ボニージャックスが所属する日本国際童謡館の理事長)は「長年4人で歌い続け、玉田さんのベースと吉田さんの内声でしっかり全体を支えるという構造に揺るぎがないから、倍音の響きが生まれたのでは」と分析してくれましたが、僕には理論的なことはよくわかりません(笑)。ただバス担当として、ハモる時には全体を包み込むように歌いたいと思い続けてきたのは事実です。今後は4人で作り上げてきた「ボニートーン」を大切にしつつ、僕と吉田で新しいトーンを作っていかなければと思っています。
高田(真理)さん(ボニージャックスが所属する日本国際童謡館の理事長)は「長年4人で歌い続け、玉田さんのベースと吉田さんの内声でしっかり全体を支えるという構造に揺るぎがないから、倍音の響きが生まれたのでは」と分析してくれましたが、僕には理論的なことはよくわかりません(笑)。ただバス担当として、ハモる時には全体を包み込むように歌いたいと思い続けてきたのは事実です。今後は4人で作り上げてきた「ボニートーン」を大切にしつつ、僕と吉田で新しいトーンを作っていかなければと思っています。
──今年1月にはソロデビューコンサートを開催し、大盛況だったと伺っています。3月にはソロアルバムも発売されますね。90歳でソロデビューとは、驚きです。
玉田さん:昨年の鹿児島のジョイントコンサートで数曲ソロを歌わせてもらったのですが、実は大ホールでひとりで歌ったのはそれが初めてでした。音響が素晴らしかったのもあって、ソロで歌うというのも気持ちがいいものだなと思いました。
玉田さん:昨年の鹿児島のジョイントコンサートで数曲ソロを歌わせてもらったのですが、実は大ホールでひとりで歌ったのはそれが初めてでした。音響が素晴らしかったのもあって、ソロで歌うというのも気持ちがいいものだなと思いました。
──ソロで歌うのは、合唱とはまた違う難しさもあるのではないでしょうか。
玉田さん:ソロと合唱の違いはあまり意識していなくて、ボニージャックスで歌い続ける過程でさまざまな方との出会いがあって、今につながっていると感じています。とくに大庭照子さん(歌手・日本国際童謡館館長)の存在は大きかったですね。
晩年の西脇は肺がん手術を受け、その後も療養しながら歌い続けましたが、歌声が弱くなっていました。このころに僕たちの歌を聞いた大庭さんが、「弱い声に寄り添うのではなく、それぞれが歌唱力を磨いて、全体を引っ張り上げて行くくらいの気概でやりなさい」と励ましてくださったんです。この言葉をきっかけに「自分の歌とは何か」をより意識するようになっていたことが、ソロ活動にも活きているように思います。
音楽活動のかたわら、自宅近くの特別介護老人ホーム・いなぎ苑のスタッフとして働き、入居者の方々と一緒に童謡や唱歌など色々な歌をアカペラで歌っていたこともよかったのかもしれません。「上手ですね」と言われて、いい気になったりしてね(笑)。
玉田さん:ソロと合唱の違いはあまり意識していなくて、ボニージャックスで歌い続ける過程でさまざまな方との出会いがあって、今につながっていると感じています。とくに大庭照子さん(歌手・日本国際童謡館館長)の存在は大きかったですね。
晩年の西脇は肺がん手術を受け、その後も療養しながら歌い続けましたが、歌声が弱くなっていました。このころに僕たちの歌を聞いた大庭さんが、「弱い声に寄り添うのではなく、それぞれが歌唱力を磨いて、全体を引っ張り上げて行くくらいの気概でやりなさい」と励ましてくださったんです。この言葉をきっかけに「自分の歌とは何か」をより意識するようになっていたことが、ソロ活動にも活きているように思います。
音楽活動のかたわら、自宅近くの特別介護老人ホーム・いなぎ苑のスタッフとして働き、入居者の方々と一緒に童謡や唱歌など色々な歌をアカペラで歌っていたこともよかったのかもしれません。「上手ですね」と言われて、いい気になったりしてね(笑)。
音楽活動の一方、85歳で老人ホームに就職
─いなぎ苑でお仕事を始めたきっかけは奥様の介護だったそうですね。
玉田さん:2008年ごろから妻に認知症の症状が出はじめまして。長年ふたりで暮らしてきましたから、最初は僕が自宅で介護していたのですが、にっちもさっちも行かなくなりましてね。どうしようかなと思っていたころに、いなぎ苑さんに入所させていただけることになったんです。
妻が亡くなったのはその翌年、2019年12月でした。妻には持病があったので、ある程度覚悟はしていましたが、やはりさみしいものですね。介護中はあれやこれやと手を焼いたこともあって、亡くなってしばらくは、まだそばにいるような気がしました。朝、目が覚めると「ああ、そうか。もういないのか」と思ったりして。
玉田さん:2008年ごろから妻に認知症の症状が出はじめまして。長年ふたりで暮らしてきましたから、最初は僕が自宅で介護していたのですが、にっちもさっちも行かなくなりましてね。どうしようかなと思っていたころに、いなぎ苑さんに入所させていただけることになったんです。
妻が亡くなったのはその翌年、2019年12月でした。妻には持病があったので、ある程度覚悟はしていましたが、やはりさみしいものですね。介護中はあれやこれやと手を焼いたこともあって、亡くなってしばらくは、まだそばにいるような気がしました。朝、目が覚めると「ああ、そうか。もういないのか」と思ったりして。
ちょうどコロナ禍で歌の仕事がなくなって、経済的にも苦しくなってきましてね。心細かったのですが、妻が亡くなってちょうど1年経ったころ、新聞の折り込みチラシに「お手伝い募集、年齢(70歳以下)・学歴・経験不問」という募集を見つけました。当時僕は85歳でしたが、妻のことで理事長とは顔見知りでしたので、「体力には自信があります」と直談判して働かせていただくことになったんです。
いなぎ苑での仕事は今も続けていて、朝食の配膳や片付け、居室清掃のほか、昼食前に入居者の皆さんと一緒に歌うのをやっています。最近はデイサービスの利用者さんからもお呼びがかかるようになって、シフトも歌中心に組んでいただいているようです。
いなぎ苑までの通勤路が大きな公園の中を通る、いい道なんですよ。坂もあって、20分ほど歩くかな。週4日通っていますから、運動不足解消にもなっています。若いスタッフたちと話すのも楽しくて刺激をもらっています。
いなぎ苑での仕事は今も続けていて、朝食の配膳や片付け、居室清掃のほか、昼食前に入居者の皆さんと一緒に歌うのをやっています。最近はデイサービスの利用者さんからもお呼びがかかるようになって、シフトも歌中心に組んでいただいているようです。
いなぎ苑までの通勤路が大きな公園の中を通る、いい道なんですよ。坂もあって、20分ほど歩くかな。週4日通っていますから、運動不足解消にもなっています。若いスタッフたちと話すのも楽しくて刺激をもらっています。
多少“頑固じじい”になるのも悪くない
─なんと、週4日とは! コンサートのほか、毎月東京・高田馬場の「うたごえ喫茶 ともしび」でライブを開催されていますし、CDのレコーディングや取材もあります。お忙しいですね。
玉田さん:実は稲城市長の後援会長もやっていまして、役員会が定期的にあります。先日、民生委員さんがひとり暮らしの高齢者の安否確認ということでいらっしゃって、「暮らしで何か困っていらっしゃることはありませんか」と尋ねられましてね。「特にはありません。強いて言えば、この歳で何でこんなに忙しいんだ、と思います」とお答えしたら、笑っていました。
玉田さん:実は稲城市長の後援会長もやっていまして、役員会が定期的にあります。先日、民生委員さんがひとり暮らしの高齢者の安否確認ということでいらっしゃって、「暮らしで何か困っていらっしゃることはありませんか」と尋ねられましてね。「特にはありません。強いて言えば、この歳で何でこんなに忙しいんだ、と思います」とお答えしたら、笑っていました。
─「この歳で何でこんなに忙しいんだ」(笑)。私も言ってみたいものです。最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いできますか。
玉田さん:事前にご依頼をいただいていましたから、もう決めています。「好きを貫く」、これに尽きます。僕はとにかくハモるのが好きでプロになりましたが、若いころは発声があまり良くなくて、悩んだ時期もありました。当時はやっぱり苦しかったです。でも、やめようとは思いませんでした。
70代で前立腺がんが見つかった時も、治療法の選択には音楽を優先しました。放射線治療にホルモン療法を併用すると治療効果が上がるらしいのですが、歌声が変わる可能性があると聞いて断ったんです。幸い寛解して定期検査でも異常がなく、医師から「優等生です」とほめられました。
若いころは「“頑固じじい”にだけはなりたくない」と考えていましたが、ある程度の歳になったら、多少のわがままは言ってもいいかな、と今は思います。好きなことを貫けば、後悔がありません。生涯歌い続け、好きを貫きたいです。
玉田さん:事前にご依頼をいただいていましたから、もう決めています。「好きを貫く」、これに尽きます。僕はとにかくハモるのが好きでプロになりましたが、若いころは発声があまり良くなくて、悩んだ時期もありました。当時はやっぱり苦しかったです。でも、やめようとは思いませんでした。
70代で前立腺がんが見つかった時も、治療法の選択には音楽を優先しました。放射線治療にホルモン療法を併用すると治療効果が上がるらしいのですが、歌声が変わる可能性があると聞いて断ったんです。幸い寛解して定期検査でも異常がなく、医師から「優等生です」とほめられました。
若いころは「“頑固じじい”にだけはなりたくない」と考えていましたが、ある程度の歳になったら、多少のわがままは言ってもいいかな、と今は思います。好きなことを貫けば、後悔がありません。生涯歌い続け、好きを貫きたいです。
~EPISODE:さいごの晩餐~
「最後の食事」には何を食べたいですか?
ふだん通りにお酒を飲みたいです。純米酒にめざしがあれば、十分。高級なお酒じゃなくていいです。以前は毎日飲んでいましたが、70代になったころから、木曜日を休肝日にしています。僕は飲兵衛なので、かみさんに「アル中じゃないの」と言われ、「違うよ。その証拠に週1回、やめてやる」と宣言したのが始まりでした。かみさんが亡くなったからといって撤回するのもためらわれるので、今も続けています。
「伊佐美」
自宅では芋焼酎のお湯割りをよく飲むという玉田さん。お気に入りの銘柄は、鹿児島県伊佐市の酒蔵・甲斐商店の「伊佐美」。国内産のさつまいもと米麹を原料に造られており、米麹は黒麹が使われているのが特徴のひとつ。黒麹ならではの素朴で濃厚な味わいながらくどさはなく、まろやかなコクとキレの良さが楽しめる。
プロフィール
歌手/玉田元康さん(ボニージャックス Bonny Jacks )
【誕生日】1935年8月19日
【経歴】熊本県天草出身。1958 年のクリスマスイブ、早稲田大学グリークラブの仲間と結成した「ボニージャックス」のベースとしてプロデビュー。NHKを中心にレギュラー番組で活躍し、現在でも「みんなのうた」では最多歌唱を誇る。NHK紅白歌合戦3回出演。第4回日本レコード大賞童謡賞受賞。現在はNPO 法人日本国際童謡館の所属コーラスグループとして全国でコンサートを展開中。メンバーの西脇久夫氏逝去に伴い「ボニージャックス合唱団常任」指揮者に就任。また稲城市内の老人保健施設で利用者の方々への歌の指導と介護補助の仕事を続けている。
【その他】2023 年新曲「わたしのほしいもの」の CD をボニージャックスデビュー65 周年記念盤として発表。2024 年人間学を学ぶ月刊誌致知「生涯現役」コーナーで紹介され、致知電子版でトップの再生回数を記録する。2025 年NPO法人日本国際童謡館館長の大庭照子の企画によりソロデビュー。小田原市童謡大使、東海林太郎音楽館名誉館長。
【誕生日】1935年8月19日
【経歴】熊本県天草出身。1958 年のクリスマスイブ、早稲田大学グリークラブの仲間と結成した「ボニージャックス」のベースとしてプロデビュー。NHKを中心にレギュラー番組で活躍し、現在でも「みんなのうた」では最多歌唱を誇る。NHK紅白歌合戦3回出演。第4回日本レコード大賞童謡賞受賞。現在はNPO 法人日本国際童謡館の所属コーラスグループとして全国でコンサートを展開中。メンバーの西脇久夫氏逝去に伴い「ボニージャックス合唱団常任」指揮者に就任。また稲城市内の老人保健施設で利用者の方々への歌の指導と介護補助の仕事を続けている。
【その他】2023 年新曲「わたしのほしいもの」の CD をボニージャックスデビュー65 周年記念盤として発表。2024 年人間学を学ぶ月刊誌致知「生涯現役」コーナーで紹介され、致知電子版でトップの再生回数を記録する。2025 年NPO法人日本国際童謡館館長の大庭照子の企画によりソロデビュー。小田原市童謡大使、東海林太郎音楽館名誉館長。
(取材・文/泉 彩子 写真/刑部 友康)