「Now or Never 〜 今やるか、一生やらないか」元プロボクサー 藤岡奈穂子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第38回~

コラム
「Now or Never 〜 今やるか、一生やらないか」元プロボクサー 藤岡奈穂子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第38回~
数々の日本記録を残した、元プロボクサーの藤岡奈穂子さん。現在はパーソナルトレーナーとしての活動を皮切りに新たなステージに向けて歩んでいます。後編では男女通じて日本人初の5階級制覇や海外進出の裏にあった亡き母への思いや、ご自身の死生観についてお話しいただきました。

46歳の奇跡。「アメリカで闘いたい」

−−2017年春の4階級制覇直後にお母様を見送り、同年12月には5階級制覇を達成してご自身が記録した日本記録を更新。前人未踏の記録を達成できたのは、亡くなったお母様の存在も大きかったのではないでしょうか。

藤岡さん:振り返ってみると、そうですね。母が亡くなったころは、ちょうど自分にとって過渡期でした。3階級制覇の祝勝会で「5階級制覇します」と宣言していたので、4階級まではひたすら前を向いて闘えたのですが、4階級を達成し、5階級が視野に入ってくると、その先をどうしようと考えるようになりました。

そんなころに、ロサンゼルスで暮らす友人を訪ねてアメリカに行きました。遊びに行っただけだったのですが、友人が現地のジムに連れて行ってくれ、「アメリカで闘いたい」という気持ちがふつふつと湧いてきました。おかげで新しい目標ができて勢いがつき、5階級制覇を果たせたんです。

母が生きていたころは、気軽には海外に出かけられませんでした。「母に何かあったら」という思いがいつもどこかにあったからです。でも、今は気兼ねなしに出かけられます。あのタイミングでアメリカに行ったのは母が背中を押してくれたのかな、と勝手に思っています。
−−2021年7月には米国開催の世界戦で日本人女性ボクサーとして初めて勝利しました。

藤岡さん:5階級制覇の選手ということでただでさえ敬遠されがちなところへ、コロナ禍があってマッチメークが難しく、試合が決まった時は奇跡だと思いました。この時私は46歳で、対戦相手は31歳。年齢差も、前回の試合から2年のブランクがあることも気にならず、「アメリカで試合できる」という喜びでいっぱいでした。

アメリカで2度目にリングに上がった2022年4月のフライ級王者2団体統一戦では、入場前にゴルフやテニスなどほかの競技の女子最年長記録を持つ選手と私を並べた映像がスクリーンに映し出され、会場中が拍手してくれました。年齢を「実績」や「キャリア」という意味で尊重し、評価してくれたんです。試合には負けてしまいましたが、あの光景は人生の勲章です。
藤岡さん所有:「女子最年長記録」投影映像の一部

けがなくリングを降りることが“親孝行”

−−アマチュア10年、34歳でプロデビューして引退まで14年。数々の記録はもちろん、大きなけががひとつもなかったというのも、すごいですね。

藤岡さん:幸運もありましたし、「けがなくリングを降りることが親孝行」と思って体づくりを大切にしてきました。けががなかったのは、本当に良かったと思います。
−−引退を決意するまでには葛藤もあったのでは?

藤岡さん:もともとは、アメリカでの試合で負けたら引退と決めていました。ところが、2度目のアメリカ戦で負けた直後、控え室にアメリカの大手ボクシングプロモーション会社の副社長がやってきて、「もう一度必ず呼ぶから」と言われたんです。これはアメリカでボクサーとして認められたということ。「ここまできたら、やれるところまでやってみよう」と思いました。

現地で3カ月トレーニングを積んだりしながら機会を待ちましたが、試合が成立しないまま1年が経過。そろそろ区切りにしようと、引退を決めました。やることは全部やり、後悔はひとつもありませんでした。「引退」という言葉は少し物悲しいイメージがあったので、引退会見では「卒業」と言いました。「卒業」だから、宮城の甥っ子たちも「おめでとう」って言ってくれたんですよ。
−−天国のお母様は、藤岡さんのプロボクサー引退をどうお感じになっているでしょうか。

藤岡さん:ほっとしているんじゃないでしょうか。「これからお前はどう生活していくんだ」とも思っているかもしれません。親というのは、きっといつまでも子どものことが心配でしょうから。
−−今後はどのような活動を?

藤岡さん:しばらくは枠を設けず、流されていこうと思っています。ボクシングで自分のやりたいことはやってきたので、これからは人から頼まれたことをやろうかなと。身体の使い方や技術、メンタル管理など自分が培ってきたことが役立てばと、まずはパーソナルトレーナーとして活動を始めました。コロナ禍でジムも閉鎖されていた時期、外でトレーニングをしていつもとは違う身体の使い方をしたことをきっかけに自分の伸びしろを発見し、鍛えることによって日々自分の身体が変化していくことが面白くて、「この先どうなるんだろう」という不安も感じないほどでした。その楽しさを伝えていきたいと思っています。

ボクシングで培っていた経験や知識の出番はこれから

−−ところで、藤岡さんは「死」というものをどのように捉えていらっしゃいますか。

藤岡さん:うちは祖父母と離れて暮らしていたので、母が他界するまで、身近な人の死をリアルに感じたことがありませんでした。核家族で仏壇もなく、先祖のことや、亡くなった後のこともあまり意識をしたことがなく、「死」というのはまさに「永遠の別れ」というイメージでした。

でも、母が亡くなり、東京の部屋に写真を置いて命日にお花を飾ったり、宮城に帰った時にお墓まいりをしたりするうちに、母がそばにいると感じるようになりました。死によって物理的にいなくなっても、誰かが覚えている限りその人は生きている、と今は考えています。
−−ご自身のエンディングについて、イメージはありますか。

藤岡さん:正直なところ、今のことしか考えていません(笑)。「今日死んでも、やり残したことがない」というのが一番幸せかなと。そして、理想は「ピンピンコロリ」。死ぬ直前まで元気で過ごしたいです。

「ピンピンコロリ」って壮大な目標ですよね。私は今40代後半ですが、60代、70代と歳を重ねていくと、誰でも足腰が弱るし、体力も落ちる。若い時のようには無理がきかない身体になっていきます。一方で、自分がボクシングで培ってきたトレーニングや健康管理の知識や経験の出番はこれからかもしれないと思っています。そう考えると、この先が楽しみです。
「ぴんころ地蔵」写真提供:佐久市役所 観光課
−−最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

藤岡さん:「Now or Never」という言葉が好きです。今やるか、一生やらないか。人生の節目ごとに、そう考えて道を選択してきました。33歳でプロテストを受けた時もそうでした。受験資格は32歳まで。アマチュアでの実績を考慮され、特例での受験が認められる話になっていましたが、チャンスは1回限り。地元を出るのは怖かったけれど、アマチュアでの定年(当時は35歳)も迫っていて、「今しかない」と心を決めました。

当時は、日本ボクシングコミッションが女子プロを公認したばかり。公認が数年早くても、遅くても、自分がプロになることはなかったでしょう。物事にはやはりタイミングがあるのだと思います。やってダメだったとしても、次に行けます。でも、やらなければ、後で「やっておけば、どうだったんだろう」と考えても、その答えは一生わかりません。やって後悔することはない。自分はそう思っています。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
どこにも行かず、自宅で過ごしたいです。基本的に、家でのんびりするのが好きなんです。用事があって出かけるのは別に苦にならないけれど、「ぶらりと出かける」なんてことはないですね。普段はソファーからほとんど動きません(笑)。

「タフササイズ」

家でのんびりするのが好きな藤岡さんですが、土曜の朝は違います。元プロアスリートの仲間と運動の習慣化を目的としたフィットネス活動を実施中。代々木公園で毎週土曜日朝8時から、大人も子どもも誰でも自由に参加でき、心地よい汗が流せます。

プロフィール

元プロボクサー/藤岡奈穂子さん

【誕生日】1975年8月18日
【経歴】宮城県出身。実業団のソフトボール選手を経て、24歳からボクシングを始める。2009年、プロデビュー戦に勝利。2011年5月WBC女子世界ストロー級王座獲得を皮切りに、2017年12月女子ライトフライ級王座獲得により、男女通じて日本人初となる5階級制覇を果たした。2021年7月、日本の女性ボクサーとして初めて米国の試合で勝利。2023年5月、引退を表明した。生涯戦績19勝7KO3敗1分。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)