「99パーセントやり残したって構わない」志茂田景樹さん【インタビュー後編】~日々摘花 第21回~

コラム
「99パーセントやり残したって構わない」志茂田景樹さん【インタビュー後編】~日々摘花 第21回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第21回のゲスト、作家 志茂田景樹さんの後編です。
ポップなファッションと明るい笑顔、ユーモアを忘れない話ぶりで、車椅子生活を送っていらっしゃることを相手に感じさせない志茂田さん。前編では戦死したお兄様との思い出をお話いただきました。後編では、お兄様の存在が志茂田さんに与えた影響や、ご自身の死生観についてうかがいます。

17年に関節リウマチ発症。現在は車椅子生活に

−−戦後77年、お兄様の他界からも同じ時間が経ちました。

志茂田さん:僕は今81歳ですから、兄が生きていたら96歳です。僕が兄と過ごせたのはとても短い時間でしたが、濃縮された時間だったように思います。兄との思い出は、これまで何かにつけて僕に勇気を与えてくれました。

兄の戦死公報がまだ届いていなかった小学生低学年のころ、観音開きの扉がついた兄の本棚をそっと開けてみると、北原白秋や石川啄木など僕が名前を聞いたことのある本もいくつかありました。一冊を抜いてページを開くと、余白に自作の詩の一節や短歌が書き込まれていて、兄を無性に懐かしく感じました。

以来、学校から帰ると兄の本を手に取るようになりました。ただページを開くだけで、小学生の僕には読みこなすことはできないんですけれども、何か兄と会っているような、そんな心地になれたんです。

作家を志して新人賞を取り、直木賞を目指していた30代前半、ふと自分は無意識のうちに兄が辿りたかった道を歩いているんじゃないか、と考えたことがあります。でも、そうではなくて、僕の心にいつも兄がいて、背中を押してくれているんだとすぐに気づきました。

人生って、意外とつらいこともたくさんあるじゃないですか。そんな時、僕はよく兄との思い出を振り返ります。今もそうです。僕は2017年に関節リウマチを発症し、2019年からは車椅子生活を送っています。朝9時に起きてスマートフォンでメールをチェックした後、机に向かって小説やエッセイを書いたり、Zoomで取材を受け、隙間時間を使ってツイッターやブログで発信をする毎日です。

自宅でできることは割と多く、以前と忙しさは変わりません。ただ、ちょっと手を動かすだけで痛みを感じます。無理をすると症状が悪化するので、1日の作業時間は6時間までとルールを決めています。「痛くて、つらいな」と思う時、兄のことを思い出すと、励まされたりするんですよ。つらさを理解してくれた上で「頑張れよ」と兄が言ってくれているような気がするんです。

僕の心に中にはしっかりと兄が生きていて、その存在がとても心強いです。時々、叱られているような感じがすることもありますけどね。

40代の100倍いいものが書ける80代へ

−−志茂田さんご自身は死というものをどのように捉えていらっしゃいますか。

志茂田さん:明日、自分の身に起こるかもしれないし、あるいは20年、30年先になっても起こらないかもしれない。生まれた以上、死は避けられず、いつ死ぬのかはその瞬間までわかりません。だから、死について思い悩んでも仕方がないというのが僕の考え方です。これは作家として何となく一人前になったかなと思えたころから変わりません。

関節リウマチを発症し、体はつらくなりましたが、僕にとってそれは受け容れれば済むこと。病気になり、身体の衰えを感じることで生死について何かを考えるということもありません。以前と変わらず、やりたいことがいっぱいあります。

これからやろうと思うことが、どれだけあってもいいと思うんですよ。仮に数日後に死んで、99パーセントやり残したって構わないじゃないですか。これをやろう、という充実した気持ちで最後の最後まで生きられるのなら。

−−そう聞くと、元気が出ます。一方で、老いや身体の衰えを受け容れるのは簡単なことではないと感じます。私なぞ老眼ひとつでも、「前はもっとできたのに」と落ち込みます。

志茂田さん:その思いは僕にもあるかもしれないけれど、今の自分を受け容れられないと、「こういう体が情けない」と感じてしまう。そうしたら、何もできないでしょう? だから、受け容れられることは受け容れようというのが僕の考え方だし、性格です。

それに、今はずいぶん仕事がはかどるようになりましたよ。僕はかつて書かなければならない原稿が多過ぎて時間が足りず、口述筆記で小説を書いていましたが、幸い21世紀のパソコンには音声入力機能があります。まだ仕事で使ったことはありませんが、変換の精度もずいぶん高くなっていますから、近いうちに音声入力で原稿を書こうと考えています。

40代のころの口述筆記は切羽詰まっての苦肉の策でした。でも、80代のこれからは便利な技術を使いながら、ていねいに場面展開や登場人物の心理状態を考え、心から楽しみながら原稿を書ける。口述筆記で作品を量産していたころに比べたら、100倍いいものが書けるはずですよ。

そう思うと楽しみで、書きたいものが山ほどあります。覆面作家として何か発表してみようかな、それとも文芸雑誌の新人賞に応募してみようか、などといたずらも考えたりして、毎日が楽しいです。

「終活」とわざわざ言わなくてもいい

−−「終活」という言葉が一般的になってきましたが、志茂田さんは万が一のために何か準備を、とお考えになったことはありますか?

志茂田さん:誰かから問われれば、僕の考えを言うでしょうね。だけど、そうでない限り、自分が死んだ後のことを言う必要もないと思います。死に無頓着な感じで亡くなる人もいれば、生前にきちんと準備をして、亡くなったときには残された人は何も困ることがなかった、という人もいる。それぞれの生き方や性格の問題なので、それを「終活」とわざわざ言わなくてもいいのではないでしょうか。

「じめじめした墓石の下よりも、野ざらしで死ねたら風になれるかな」「樹木葬もいいかもしれない」というようなことを気ままに思うことはありますが、基本的にそれは僕が決めることではなく、家族が好きなようにしてほしいと考えています。遺品にしてもそうです。生きている自分にとって価値のあるものでも、残された人たちにとって、そうとは限りません。「へんてこりんなものを残しておくなよ」とこぼしたくなるものを「大事にしてほしい」とお願いされても困ってしまいますよね。

ただ、兄の蔵書のうち『ヴェルレエヌ詩集』や『石川啄木歌集』など5、6冊が今もあって、それらは残しておくようにと息子たちに言おうと思っています。まあ、家族は僕のことを大体知っていますから、粗末にはしないでしょう。言い忘れたとしても、心配はありません。

−−本日の締めくくりとして、読者の皆さんに贈る言葉をお願いします。

志茂田さん:「いまが出発点」という言葉です。著書のサイン会などで書いてきた言葉がいくつかありますが、これを書くと老若男女を問わず喜ばれました。だから、選んだんです。

この言葉を初めてサイン会で書いたのは、新人賞を取って1年くらいたったころ。あれやこれやと長い言葉も考えましたが、「志茂田景樹」って画数が多い名前ですよね。それに加えて言葉が長いと大変なので単純明快な言葉を探し、思いついたのがこの言葉でした(笑)。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
選択に困りますが、あえて選ぶとすれば、心に浮かぶ光景があります。子どものころ、自宅近くに広がっていた畑で、父に凧(たこ)揚げを教わったんですね。自分ひとりでやってみたら、最初から高く揚がって、とても喜んだのですが、強い風が吹き、糸が切れて凧が吹き飛んでしまいました。その一瞬の驚きと落胆、凧が遠くの雑木林に吸い込まれていく様子が鮮やかに心に残っています。

自分の人生って糸が切れた凧なんじゃないか。ふとそう思うことがあります。制御不能で予想のつかない人生ですが、最後の最後にはあの一瞬に戻りたいです。

凧の博物館

東京都中央区にある「凧の博物館」には、洋食レストラン「たいめいけん」創業者で、「日本凧の会」初代会長を務めた茂出木心護(もでぎ しんご)氏のコレクションをはじめ、約100点の凧や凧関連の資料が展示されている。日本橋の再開発で仮店舗にて営業中。
凧の博物館
住所:東京都中央区日本橋室町1-8-3 室町NSビル2階
開館時間:午前11時~午後5時 日曜・祝日は休館
https://www.taimeiken.co.jp/museum.html

プロフィール

作家/志茂田景樹

【誕生日】1940年3月25日
【経歴】1980年、『黄色い牙』で第83回直木賞を受賞。絵本作家、児童書作家、小説作家、タレントとして幅広い分野で活躍。2010年から「@kagekineko」のアカウントでX(旧ツイッター)を始動。心に響く名言や人生相談が話題を呼び、フォロワー数は40.8万人(2022年3月現在)を突破している。

Information

志茂田さんの名言を496ページのボリュームで収録した『死ぬのは明日でもいいでしょ。−−辛いとき、悩んだとき、気持ちを切り替える言葉』(自由国民社)。「座右に投げ出しておいて、コーヒーを飲むときにでもページをめくってもらえたら」と志茂田さん。つらいとき、悩んだときにすっと気持ちを切り替えてくれるメッセージが多数掲載されている。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)