「傷を抱えて生きる」~日々摘花トークイベント開催レポート【中編】

コラム
「傷を抱えて生きる」~日々摘花トークイベント開催レポート【中編】
Coeurlien(クリアン)では毎月、著名人が大切な人との別れを語るコラム連載『日々摘花(ひびてきか)』をお届けしています。そのスピンオフ企画として、初めてのオンライントークイベントを実施しました。この記事は、開催レポートの中編です。

「供に養う」と書いて供養

「1年間闘病の末、40代で姉が亡くなりました。小学生と中学生の子供を残して亡くなりました。私はまだ3歳の子供がいますが、悲しみと無力感で育児や家事もほぼできていません。残された子供たちと、そして、母のことも心配です。何をどうしたらいいかわかりません。こんな時どうしたらいいかを教えてほしいです」

小島さん:つい最近お姉様を亡くされたということです。

志村さん:おつらいでしょうね。人を亡くすと、皆さん、個々に苦しみが出ちゃいます。だから、みんな孤独になってしまう、と思うんです。

孤独になったときに、「私だけじゃない」とふと気づける時があるんです。この方は、今がそうですよね。お姉様のお子さんのことも考えて、お母さんのことも思っていて。

「苦しんでるのは自分だけじゃない」と思えると、周囲と協力し合うことができる。もう少しするとそういう感情が出てくると思います。「お互いのために何をしようかな」って気持ちが湧いてくるまで、少しかかるかもしれませんけど、待っていただいて……。それまでは、ご自身の痛みや苦しみを少しずつ、よしよしと撫でるように大切にする。それから、お母様のこと、姪っ子さん甥っ子さんのことを考えていただけると心境が変わってくると思います。

必ず協力しようって気持ちになると思います。なぜって、それが愛したお姉様の供養につながるから。

小島さん:自分のことって後回しにしがちですよね。特に亡くなったお身内が小さいお子さんをお持ちだったとなると……。遺された甥や姪、年老いた母はと、ご自身の悲しみを横に置いて頭がいっぱいになってしまいそうです。

志村さん:まずは、悲しみに包まれることが大切だと思います。自分の気持ちをすぐには整理できない。けれども、こんなに傷ついて、こんなに自分のきょうだいが好きだったんだ、今もこれからも好きなんだ、と認めるようになる。そこからスタートしていくことが大切だと思います。
小島さん:もうひと方です。

「2年前に娘を自死で亡くしました。家族愛に飢えていたので、娘はとても大事な生きがいでした。家族愛に飢えている自分の気持ちをそのまま埋め合わせるように娘を大事にしたのが良くなかったかもしれません。娘を失い、なんとか生きていますが、『早く迎えに来てほしいです』という気持ちなのです……」

小島さん:この後にさらに書き込んでいただいたんですけど、ちょっと回答欄に収まらなかったみたいで。私たちの手元にはここまでしかいただいてないんですけれども……。この方も今、とても苦しいと思います。

志村さん:つらいですよね。何か考えるだけで涙が出てきちゃいますけど。

あるときね、お坊さんから尋ねられたことがあるんです。「供養っていう言葉を聞いたことがありますか?」って。ありますよね?

供養っていうのは「供に養う」って書くでしょ。ご自身のことを大切にしてあげて、ご自身のことを養う気持ちでいると、亡くなった方も供養されるってことなんだそうです。

早く迎えに来てほしいってお気持ちはわかるけれど、その前に娘さんの気持ちをちょっとだけ感じていただいて……。娘さんは、お母さんのことを、とても大事に思ってたはずなので、自分が大切に思っていた娘さん、思われていたご自身のことを丁寧に扱っていただきたいと思います。
志村さん:これまでも家族のことや娘さんのことを想い続けながら、たぶん生きてこられたんでしょう。これからは、朝起きて青空が綺麗だったときに「ああ青空きれいだな」って感じてもらい、ちょっとおいしいお茶を飲んだ時に「おいしいな」って感じてもらう。そこで、娘さんに「飲ませてあげたいな」と思ったらお供えしたら良いし、「おいしいね」って心の中で会話してもらいたい。そうできれば、お互いが養われるんじゃないかなと。

ですから、まずは温かい時間をご自分に作ってほしいなって願います。

小島さん:身近な方を自死で亡くすと、いろいろと悔やまれると思うんです。もっと自分にはできることがあったのでは……、自分の至らなさが追い詰めてしまったのでは……、ひとこと声をかけていたら、こうならなかったんじゃないか……。私にも経験があります。

その方は自ら命を絶つことを選んでしまった。でも、もしかしたら何かできたのではと、自分を責めてしまう……。

誰かに「その人の選択だったのだから、今はもう苦しみから放たれて楽になったんだと、そう考えていいのよ」って言われても、なんだか自分が責任逃れをするような気がしてしまう。身近な人を自死で亡くしたときの心の動きはどう扱っていけばいいんでしょうか。

志村さん:自死であってもそうでなくても、大切な人を失うのは、ご自身の半分が消えてしまうぐらいの痛みだと思います。特に自死された周りの方たちは、自分に責任があるのではと思いますが、亡くなった方たちはそうは思ってないです。ご自身の中で、それが解決方法だから選んだと思います。誰かのことを傷つけたくてしたわけではないと知っていただきたいです。

ただ傷つくのは、本当にどうしようもないことで、それを抱えながら生きていくんだと思うんです。

樹木を見ていると、太い木でも傷が付いてる木があるでしょう?または、何かに巻きつかれた状態で傷になっていたり。木は傷を抱えながらも成長して、痛みを受け止めつつ、生きていかなきゃいけない……。そうしなければいけない木だったと思うんですね。

人もそうかと思います。もう、消せないんです、その痛みって。ならば、その痛みを自身の傷として抱えながら、ゆっくりゆっくりと時間とともに、どうやって緩和するかだと思うんですね。

私も実は似たような痛みを抱えた経験があるんです。でもだからこそ、この仕事に就いたのかもしれない。だからこそ、今の皆さんの抱えている痛みを、同じ気持ちではなくても「ああ、分かるなぁ」って感じられるのかも。きっと慶子さんも同じですよね?

小島さん:そうですね。私は……、そうだなぁ(声を詰まらせる)。

その方は女性だったんですけど、彼女は、若くして死を選ばれたんです。私は、彼女が生きてて幸せそうにしてた時のことも覚えてるんです。だから、亡くなり方が悲しかったからといって、その方の人生のすべてが悲しかった訳ではないかな、と。私が知っている限りで、彼女が楽しそうにしていた時、幸せそうにしていた時のことをよく思い出すようにしてます。

志村さん:自死されてしまった方も、そうではなくて大切な方を失くされた方も、一番つらい時だけに、気持ちがハマってしまうんですよね。

でも、もうちょっとだけ、その相手の方を深く感じてみていただきたいんです。「あ、笑っていたな」とか「幸せな時間を一緒に過ごしたな」とか、いろんな場面が出てくると思います。思い出のアルバムから1枚だけ……、この1枚が最後だ、じゃなくて、いろんな心の中のアルバムを見てあげて欲しいです。それがもしかすると、亡くなった方達にも伝わっていて「ああよかった、いろんな自分を見てくれてる」って、そう思うかなと私は考えています。

亡くなった後でも、一緒にハンバーグは食べられる

小島さん:亡くなった方との関係が変わることはありますか?

志村さん:ありますね。今は、亡くなった人が「守ってくれてるんだな」、「今している経験をあの人だったら、どう答えてくれるんだろう?」、「どういう笑顔になるんだろう?」って、想いを馳せる時間が増えました。

小島さん:すると、その方は生きることができなかった時間を、季世恵さんと一緒に生きてることになりますね。例えば、季世恵さんが今ハンバーグを食べて「これおいしい、あの人に食べさせてあげたかったわ」と思うと、季世恵さんの頭の中では一緒に食べてるわけですよね。

志村さん:ホントそうなの。身体は離れてしまったけれど、実は自分の中に入ってるんだなという気持ちがあるんです。例えば、父や亡くなった夫は、今は会えないけれども、一番近いところにいる気がします。

小島さん:私も父がすごく近くなりましたね。不思議なことに……。

志村さん:どんな亡くなり方をした人でも、自分が気にしてる時って、そばにいてくれている。相手の人も一緒になって、自分の成長を見てくれてるんだろうなと思うの。

小島さん:確かに。生きるっていうことは体があることで、体があると人って変わりますよね。生きることが変わることだとすると、体をなくした後でも人は変われるし、生きているんじゃないでしょうか。季世恵さんの中で、季世恵さんと一緒に故人が変わっていくように。

志村さん:それが、供養にもつながるんでしょうね。亡くなった相手と共に、自分も養われて育っていく。相手も「良かったね」と思う気持ちになって、「供に養う」のが供養というお坊さんの言葉のように。

自分が旅立つ側になったとしても、きっと大切な人のそばにいて、彼らのことに一喜一憂してるんだろうと思うんです。

小島さん:会いたいのに夢にも出てきてくれないっていう話をよく聞いたりしますよね。「姿を見たい」とか「手を触れたい」っていう気持ちは、自分が肉体を持っている限りはあると思うんです。

だから、やっぱり「寂しいな」と思います。いくら心の中にいても、「手を握りたい」とか、「姿、形を見て、笑顔を見たい」とか気持ちにはなりますもんね。

突然の別れは、長期出張だと思って

小島さん:次のご相談です。

「連れ合いは持病の悪化から2年で、ある日突然亡くなりました。家の中の物も、何もかも、さっきまでそこにいたような形で、彼の体だけが、ある日なくなりました。世界は変わらず動いているのに彼の存在だけがなくなりました。

コロナ禍での出来事で葬儀もしていません。突然消えただけであっけなく終わってしまったことが、なかなか理解できずにいます」

志村さん:理解できないでしょうね。日常が続いてたんですものね、ずっと。

小島さん:突然亡くなるということは……。どんな亡くなり方も見送るときはつらいですけれども、「心の準備をする時間が持てたらよかったのに」という方は、たくさんいらっしゃると思うんです。ご葬儀もできなかったとなると、気持ちの整理をつける儀式もなかったわけですから。

志村さん:本当にそうですね。私はね、長期出張に出てるんだっていう気持ちになりました。それも、海外出張の中の一番遠いところに出張したんだなって思ってた。

小島さん:それはお連れ合いが事故で亡くなったときですか?

志村さん:そうです。子供たちもね、まだ下の子は10歳だった。だから、なかなか会うことができないところに行ったんだって、みんなで……。海外出張先の外国の「外」の字を、天国の「天」ってことにして。「外」と「天」ってあまり変わらないんじゃないかと思うのね。

だいぶ長い、「超」長期出張に出ていて、いつか会えるんだろうって今でも思ってるんです。天の国に会いに行けるはずだから、それまでは「私たちはどんなことを大切にして生きていこうか」って、夫をお墓に入れるまで子供たちと毎日話してました。

小島さん:ああ、そうでしたか……。

志村さん:「お父さんからもらったもの、何だったっけ」とか話してね。そうすると「お好み焼きを作ってもらった」とか、「それ作ってみよう」とか。そして、少しずつ、少しずつ、私の中で長期出張に行っている彼のことを「感じる」時間が増えてきたんですね。悲しい時に、だけじゃなくて。

小島さん:存在を感じる?

志村さん:そうですね。家の中のものは、今でも、子ども部屋には亡くなった父親のものが置いてあったりします。私のクローゼットにも、自分の父親のスーツが1着入ってるんです。35年前のスーツが。母が亡くなったときに棺に入れる約束をしてるの。

小島さん:私の父も商社に勤めていて、出張が多かったんです。だから、母も「パパは出張に行ってる気がするのよね」ってよく言ってますね。

父の部屋も亡くなった時のままです。ご質問の方も、故人の生きていた気配やぬくもりが残る中で、どうして体だけがなくなってしまったのかと、本当に納得ができずにつらいと思います。