「唯一の心の師との、出会いと別れ」お天気キャスター 森田正光さん【インタビュー前編】~日々摘花 第12回~

コラム
「唯一の心の師との、出会いと別れ」お天気キャスター 森田正光さん【インタビュー前編】~日々摘花 第12回~
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

第12回のゲストは、お天気キャスターの森田正光さん。本編は、前・後編の2回に渡ってお送りする、前編です。
朗らかなキャラクターとわかりやすい気象解説で知られ、40年以上前からテレビやラジオでお天気キャスターとして活躍してきた森田正光さん。前編では、駆け出しのころから憧れ、「唯一の師」と仰ぐNHK気象キャスターの故・倉嶋厚さんとの別れについてお話しいただきました。

「追っかけ」続けた人との別れで見た、意外な自分

ーーこれまでで最も印象深い「永遠の別れ」について教えていただけますか?

森田さん:父や母が他界した時のことも忘れられませんが、家族以外では、気象解説者の先駆けとして活躍された、倉嶋厚先生とのお別れが心に強く残っています。

倉嶋先生が亡くなったのは、2017年8月。93歳でした。最後にお話しさせていただいたのは、亡くなる半年ほど前。ちょっと教えていただきたいことがあってお電話したんです。お声はしっかりしていましたが、少し体力が弱っているように感じ、そろそろお見舞いにうかがおうと思っていた矢先の訃報でした。

ご葬儀には同業の仲間4人で参列し、最期のお別れの時に、恐れ多くも、そっとほおに触れさせていただきました。すると、涙があふれてどうしようもなかったんですよ。母の葬儀でもそんなには泣かなかったのに、もう、涙が止まらないんです。自分の中のこんなにも深いところに倉嶋先生がいらっしゃるということに、僕自身が驚きました。

ーー森田さんにとって、生前の倉嶋先生はどのような存在でしたか?

森田さん:気象解説に携わる者として憧れてやまない、「雲の上の人」。倉嶋先生の書籍はすべて揃え、雑誌のインタビュー記事まで読んでいました。ほぼ「追っかけ」ですね(笑)。

今でこそ気象解説者は「お天気キャスター」と呼ばれ、暦や旬の話題を取り入れた解説は当たり前ですが、僕がテレビやラジオで気象解説を始めた1970年代後半は違いました。当時僕は日本気象協会の職員でしたが、天気予報の自由化(1995年)以前は気象解説の仕事のほとんどを日本気象協会が独占していて、競争原理が働いていなかった影響もあったのでしょう。気象解説者はあらかじめ用意した原稿を読むのが基本でした。

僕も先輩方に倣い、最初は淡々と原稿を読んでいたのですが、気象解説を担当していたあるラジオ番組で、視聴者の方々から質問が寄せられることがあったんです。その内容がお天気のことから、自然事象や季節の行事まで幅広く、それらに答えられるよう勉強し、解説に取り入れたところ、好評でした。やりがいを感じましてね。皆さんにもっとお天気に関心を持ってもらうにはどうすればいいんだろうと日夜考えていた時、テレビで倉嶋先生の解説を見て「すごいな」と思いました。

「洗濯指数」の誕生秘話

ーーどのような点を「すごいな」と思われたのですか?

森田さん:倉嶋さんはとにかく博識で、気象解説に歴史や文学などさまざまなネタを盛り込みながら、シンプルにわかりやすくお話しになるんです。「こんな解説をしたい」と憧れ、熱心に倉嶋さんのスタイルを真似した時期もあります。

でも、「お手本」をなぞっていては成長できないと考えていた時、友人からの「みんなが知りたいのは知識ではなく、今の世の中とお天気のかかわりじゃないの?」という言葉にヒントをもらいましてね。街でお天気にまつわるちょっとしたリサーチをしては、「昨日の朝は12度で、100人中32人がコートを着る寒さでした。意外とたいした寒さではないですね」などと解説に取り入れてみたところ、視聴者から反響がありました。

社会情勢など「今、起きていること」を切り口にした気象解説は当時誰もやっておらず、自分の道はコレだと思いました。そのころから仕事の依頼が増え、38歳の時にはテレビのニュース番組にレギュラー出演するようになりました。視聴者の方々の生活に役立つようにと、洗濯物の乾きやすさを数値化した「洗濯指数」など、お天気の新しい指標を考えたりもしました。

倉嶋先生はそんな姿を見てくれていたのでしょう。ある日、気象庁のロビーで声をかけてくださって、次第に交流が始まり、ご自宅にも何度かお邪魔しました。貴重なお話をたくさんうかがい、宝物のような時間でした。僕にとって倉嶋先生は唯一の心の師です。

初めてお話をした日から年月を経て、倉嶋先生から「君は独自の道を切り開いた」というお言葉をいただいたことがあります。それはもう、うれしかったですね。

「屋上派」の倉嶋先生と「地下室派」の僕

ーー倉嶋先生が亡くなってもうすぐ4年。新型コロナウイルス感染症の流行など社会情勢の大きな変化もありました。「倉嶋先生が生きていらっしゃったら、ご意見をうかがってみたい」と思うことはありますか?

森田さん:たくさんありすぎて、何からお話しすればいいかわかりません(笑)。気象に関連してひとつ挙げるとすれば、AI(人工知能)時代の気象予報士に求められる役割についてお考えをうかがってみたいですね。

ずいぶん前から、気象の「数値予報」自体はスーパーコンピューターがほとんどを担っていて、精度も年々高くなっています。「数値予報」は80年代には「時々当たる」と言われる程度でしたが、今では1週間前に70パーセント、日が近づくにつれてさらに精度が上がって、1時間前には90パーセントの精度で当たります。AIの活用で、今後はもっと精度が高まるでしょう。

ーー森田さんご自身は、AI時代の気象予報士の役割をどうお考えになっていますか?

森田さん: 気象予報がAI化して精度が高まるほど、お天気を解説する力がより重要になると思います。そして、その力が最も問われるのは、災害時だと考えています。仮にAIが「7月30日15時からの1時間に、東京都・新宿区で100ミリの雨が降ります」と予測し、ピタリと当てたとしましょう。この雨量は気象予報士なら誰でも大変な事が起こると思う量ですが、この数字を聞いただけで「危ない」と感じて避難行動を取る人はどれだけいるでしょうか。

AIが弾き出した精度の高い「数値予報」を見ても、一般の人には単なる「数値」かもしれません。その「数値」の背景を読み取り、お天気によって世の中にどのようなことが起こり得るのかを考えて、伝えるべきことを、皆さんにきちんと届くよう伝える。それがAIにはできない、気象予報士の仕事だと思います。

倉嶋先生はよく、気象予報の考え方には大きくわけてふたつあるとおっしゃっていました。ひとつは刻々と変わる空模様に気をとられて大局を見誤らないよう、地下室にこもってデータを頼りに判断する「地下室派」。もうひとつは、現場を大切に、屋上で空を見て決める「屋上派」です。

どちらの考え方も大事だということを倉嶋先生は教えてくださったのですが、僕はどちらかと言えば、「地下室派」。倉嶋先生は「屋上派」でした。その倉嶋先生がAIの進化と気象予報士の未来をどうお考えになるのか。この世ではかなわぬことではありますが、じっくりお話をうかがってみたいですね。

~EPISODE:癒しの隣に~

沈んだ気持ちを救ってくれた本や音楽は?
倉嶋厚先生のご著書を読み返すと、何となく心が落ち着きます。倉嶋先生が出版された本は絶版のものを含めほとんど持っていると思います。気象についてもたくさん勉強させてもらいましたが、文章から先生の人生が垣間見えるのが、ファンとしてはたまらないですね。

『やまない雨はない 妻の死、うつ病、それから…』

故・倉嶋厚氏の著書『やまない雨はない 妻の死、うつ病、それから…』。70代の時に、長年連れ添った妻を急に亡くして茫然自失となり、自殺を試みて精神科に入院、ようやく回復するまでの日々を綴ったエッセイ。ベストセラーとなり、2010年にドラマ化もされた。「ドラマ化の前年にご自宅にお邪魔した際、『渡瀬恒彦さんが私を演じてくれるんだよ』とうれしそうにお話しされていました」と森田さん。
『やまない雨はない 妻の死、うつ病、それから…』(文藝春秋)

プロフィール

お天気キャスター・森田正光さん

【誕生日】1950年4月3日
【経歴】愛知県出身。財団法人日本気象協会を経て、1992年独立。フリーランスのお天気キャスターとなる。同年、民間の気象会社・株式会社ウェザーマップを設立。親しみやすいキャラクターと個性的な気象解説で人気を集め、テレビやラジオ出演のほか全国で講演活動も行っている。
【趣味】読書/映画鑑賞/ゲーム全般/将棋/囲碁
【そのほか】2005年財団法人日本生態系協会理事に就任。2010年からは環境省が結成した生物多様性に関する広報組織「地球いきもの応援団」のメンバーとしても活動している。

Information

森田さんが監修した『ワイド版 散歩が楽しくなる空の手帳』(東京書籍)
雲や大気光学現象にはどんなものがあるのか、その「名前」や「仕組み」はどうなっているのかなど、誰かに話したくなる「雑学ネタ」が満載。四季折々の季語や俳句、空や雲の美しい写真も掲載されている。「散歩や通勤時に空を見上げ、『どんな雲か出ているのか』『空では何が起きているのか』など気になることがあったらこの手帳を開いてみてください」と森田さん。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)