「密教とは何か?」を分かりやすく解説。教えや顕教との違いなど

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「密教とは何か?」を分かりやすく解説。教えや顕教との違いなど

この記事はこんな方にオススメです

密教とはどんな宗派で、どんな考え方なのか知りたい
密教と空海・最澄との関わりが知りたい
密教とは、空海と最澄によって中国から伝えられた仏教の一流派です。大日如来を本尊として深遠な秘密の教えを持ち、加持や祈祷を重んじます。7世紀頃にインドで誕生し、チベットや中国、そして日本に伝わりました。密教の教えには「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」「入我我入(にゅうががにゅう)」など難解な言葉が多いのも特徴です。そこで今回は密教の歴史や教え、顕教(けんきょう)との違い、代表的な用語を分かりやすく解説します。

【歴史】密教とは?誕生と世界への伝わり方

密教はお釈迦様の入滅後、1000年以上が経過してから誕生した仏教の一流派です。インドで誕生後、時を経て日本にも伝来しています。まずは密教の誕生と歴史から見ていきます。

密教は7世紀にインドで誕生した

密教は仏教における流派の一つで、大日如来(だいにちにょらい)を本尊とします。発祥の時期には諸説あるものの、大乗仏教の思想やヒンドゥー教の影響を受けて、密教は7世紀頃にインドで誕生したと言われています。インド密教が最も栄えていたとされるのは、7~8世紀にかけてです。
その後も密教はインドで盛り上がりを見せていましたが、徐々にヒンドゥー教色が強くなり、両者の区別がつかなくなってしまいます。その結果、12世紀になるとインド密教は消滅してしまいました。

密教はチベット・中国・日本へと伝わった

インドで誕生した密教は時を経て、チベット、中国(唐)、そして日本へと伝わりました。
<チベット>
密教がインドからチベットへ伝わったのは7~8世紀頃です。その後、チベットの民俗宗教と融合、発展したことでチベット仏教(ラマ教)が誕生しています。
<中国>
中国に密教が伝わったのも8世紀頃のことです。716年、インドの僧である善無畏(ぜんむい)が中国に真言密教を、720年には金剛智(こんごうち)が金剛界系密教を伝えています。
また、中国には密教だけではなく、大乗仏教や中期大乗仏教といった複数の流派の教えが伝来しました。それらが中国の思想や土俗信仰と融合し、発展した結果、独自の宗派や信仰が誕生しています。
なお、日本に密教が伝わった背景や歴史は、次の章で詳しく紹介していきます。

日本における密教と空海・最澄との関わり

インドで誕生した密教を日本に広めたのは、真言宗の開祖・空海と、天台宗の開祖・最澄(さいちょう)の二人です。日本における密教を語る上で、この二人の存在は欠かせません。日本における密教の歴史と、空海・最澄との関わりについて紹介します。

空海が日本に密教を広めた

香川県で生まれ、僧の道に進んだ空海は、修行の途中で密教の経典である『大日経』に出会います。804年7月、空海は遣唐使として中国へ。真言密教を正式に受け継いだ唐の国師、恵果(えか、けいか)の下で密教の勉強に励みます。
そして空海はわずか3ヶ月で、師である恵果から「真言密教の師」、つまり「阿闍梨(あじゃり)」と認められ、真言密教の第八祖となりました。
中国に渡ってから2年後に帰国した空海は、真言宗を開宗、そして真言密教の普及に努めました。816年には、高野山「総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)」を修禅道場と、823年には東寺(とうじ)を根本道場とし、真言宗の基盤を確立します。そして、828年には庶民向けの教育機関「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を創設し、誰もが平等に学べる場を設けています。

最澄も日本に密教を伝えた

平安時代に中国から日本へ密教を持ち帰ったのは空海だけではありません。後に天台宗の開祖となる最澄も、空海と同じ遣唐使として中国に渡っていたのです。
滋賀県で生まれた最澄は、12、13歳頃に出家し、19歳で正式な僧となりました。その後、比叡山でおこなう修業の中で、中国天台宗の祖である天台大師(てんだいだいし)の教えに触れ、感銘を受けます。そして804年、最澄は空海と同じ遣唐使として中国へ。現地では、密教のほかに法華経・坐禅・戒律を学んでいます。
805年、桓武天皇から呼び戻された最澄は、空海より一足早く帰国。京都府にある高雄山寺において、密教の儀式の一つである“潅頂(かんじょう)”を学生の僧に対して日本で初めて授けました。
806年には天台宗を開宗、人々に法華(ほっけ)思想と密教を基にした教えを説いています。ただし、中国で密教のすべてを学べてはいないという思いが強く、遅れて帰国した空海から新たな教えを受けることに。書物を借りたり手紙を交わしたりしていた二人ですが、やがて確執が生まれて絶縁したと言われています。

日本の密教には東密(真言宗)と台密(天台宗)がある

中国にいる間、密教のみを学んでいた空海に対し、天台教学や禅の教えなども受けていた最澄。ともに中国で密教を学んだ二人は、それぞれ異なる方向性で「密教の教え」を確立していきます。
空海の真言宗に伝わる密教は、嵯峨天皇より託された東寺を根本道場としたため「東密(とうみつ)」呼ばれます。

一方最澄の天台宗に伝わる密教は「台密(たいみつ)」と呼ばれています。比叡山延暦寺や園城寺(三井寺)を中心に発達しました。

866年には清和天皇から最澄へ「伝教大師」と、921年には醍醐天皇から空海へ「弘法大師」という諡号(しごう)が、日本仏教の発展に寄与した証として贈られています。

空海が伝える、顕教との違い・密教の教え

密教の教えは難解で、一言で表せるものではありません。今回は密教の教えや考え方、顕教(けんぎょう)との違いを簡単に説明します。

密教は「秘密の教え」とされる

仏教には顕教と密教の2種類があります。顕教とは、釈迦の教えを言葉ではっきり伝えるものです。それに対し、密教では言葉だけでは表せない物事の真理や、生きながら仏になる可能性を説いています。「秘密の教え」とも言われる密教は、顕教の対義語と言えます。
なお、真言宗は密教とそれ以外の仏教(顕教)を分ける考え方です。空海は密教の考え方やほかの宗教との違いを「秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)」、通称「十住心論」に記しています。

生きたまま仏になる「即身成仏」という考え方

空海は即身成仏(そくしんじょうぶつ)という教えを説きました。即身成仏は「密教の教えを信じて修行をおこない、悟りを開けば生きている内に仏の境地に達せる可能性がある」という考え方で、即身(この身このまま)成仏(仏になること)できるという教えです。天台宗でも説かれている教えですが、天台宗は顕蜜二教を融合させたもの(円密一致)であり、「すべての人が仏になれる」法華経の教えを含んでいます。
なお、人々の幸せを願い、自身の命を捧げてミイラになった「即身仏」と即身成仏は別物です。

即身成仏への道は「入我我入」にある

密教では即身成仏に至るために、三密加持(さんみつかじ)と呼ばれる修法がとられます。三密加持とは、人間のあらゆる行為を3種に分けた「身(身体の動作)」「口(言葉)」「意(心)」の三業(さんごう)と、仏様の「身・口・意」が持つ秘密のはたらき(三密)が一体化することで、仏様と自分が一体化できるというもの。具体的には、手で印を結び、口で真言を唱え、心に本尊を想い描きます。空海は、このあり方を「仏が我に入り我が仏に入る」という意味で「入我我入(にゅうががにゅう)」と呼びました。

密教の教えには「在家修行」でも触れられる

密教の修業は三密加持と聞くと、なんだか縁がないように感じるかもしれません。しかし、家の仏壇に手を合わせるのも仏様に触れる機会の一つです。拝むことで、仏様の存在をより強く感じられるでしょう。
三密加持の「身・口・意」を清める行為は、日常生活にも役立ちます。正しいおこない、きれいな言葉遣い、優しく広い心を持つことで、仏様に近づけるかもしれません。
そのほか、自宅で密教の教えや修行に触れられる本・CDも販売されています。また、お寺によっては読経や写経、瞑想といった簡単な修行体験ができることも。密教の教えを学びたいときは、“修行”と難しく考えず、できることから始めてみてはいかがでしょうか。

密教に関する用語について

密教には、ほかの宗派ではあまり見聞きしない用語が複数あります。今回はその中から曼荼羅(まんだら)と、密教法具について紹介します。

曼荼羅(まんだら)

曼荼羅とは、宇宙の姿や仏様の世界が描かれた絵です。密教で悟りを開くために誕生した後、バラモン教やヒンドゥー教でも描かれるようになりました。曼荼羅には複数の種類があり、描かれた時代や国、宗派などによって絵柄は異なります。

密教法具

密教法具とは、護摩や祈祷など、密教の儀式で使われる特別な仏具のこと。種類は複数ありますが、代表的なのは金剛杵(こんごうしょ)と金剛鈴(こんごうれい)です。
<金剛杵>
古代インドの神々が持つ武器と伝えられている法具で、尖った両端の槍が煩悩を打ち砕くと言われています。空海の有名な肖像画で、右手にあるのが金剛杵です。
<金剛鈴>
金剛杵の片側が鈴の形になった法具です。仏様や菩薩の注目を集め、喜ばせるために鳴らす楽器と伝えられています。澄んだ美しい音色で、人々の内側に眠っている仏性を覚醒させると言われています。

密教の教えは人々の心を解放し、希望を与えている

空海と最澄が中国から持ち帰った密教は「秘密の教え」と言われます。神秘的ゆえに、完全に理解するのは難しいかもしれませんが、読み解いていくと徐々に教えの欠片が見えてくるかもしれません。
また、密教の「悟りを開けば生きたまま仏になれる可能性がある」という考え方は、心の解放につながるでしょう。生きづらさやストレスを感じやすい現代だからこそ、仏壇に手を合わせたり瞑想したりと、仏様に触れ合って自分自身と向き合ってみてはいかがでしょうか。