式神は陰陽師の操る鬼神。安倍晴明と共に活躍した歴史を知る

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式神は陰陽師の操る鬼神。安倍晴明と共に活躍した歴史を知る
式神とは、陰陽師が操る鬼神と言われています。ドラマや映画で、陰陽師や式神という言葉を知っていても、詳しく語れる人は少ないのではないでしょうか。本記事では、式神の基礎知識や陰陽師・安倍晴明との関係などを紹介します。

式神の基礎知識

古くから日本で活躍してきた陰陽師。奈良・平安時代以降から実在した官職(公務員のようなお仕事)で、方位学と天文学による占いを行い、怨霊や鬼を退治することもあったと言われています。そんな陰陽師とともにあるのが式神です。

式神の読み方

神は「しきがみ」と読むのが一般的です。文献によって表現方法が異なり、別名で「式の神 (しきのかみ)」や「式鬼(しき)」とも表されています。

式神は陰陽師が操る鬼神

式神に使われている「式」は「用いる」という意味で、使役(しえき)することを表しています。式神は陰陽師が使う神様(鬼)のことです。人の目には見えないため、陰陽師以外は存在を確認できません。

また、陰陽師が鬼神を召喚する術のことも式神と呼びます。

たくさんの陰陽師の中で、安倍晴明は式神を操るのが特に上手いと言われてきました。儀式以外に掃除などの雑用もさせてきたという言い伝えがあります。式神と陰陽師は、とても近しい間柄にあったようです。

式神の種類は主に3つ

思業式神・擬人式神・悪行罰示神と呼ばれる3種類の式神が言い伝えで残っています。同じ式神でも、それぞれ意味が異なるのが特徴です。

思業式神は、思念によって陰陽師が作った式神を指します。また、藁人形や紙を用いた人形に霊力が込められたものは擬人式神と呼びます。映画やアニメなどでよくみる形の式神です。そして、悪行罰示神は悪行を働いた過去のある式神のこと。陰陽師によって倒され、従属した結果として式神になりました。

式神と陰陽師・安倍晴明の関係

式神を語る上で欠かせないのが、陰陽師として活躍した安倍晴明の存在です。安倍晴明という名前は、映画やドラマで目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。ここでは、式神と陰陽師・安倍晴明の関係について解説します。

陰陽師とは

律令時代の日本には、陰陽寮と呼ばれる機関がありました。中国大陸から伝わった技術を基に、天文の観測、暦の作成、占いの一種である卜占(ぼくせん)などをおこなうために朝廷が作ったとされています。陰陽師は、陰陽寮に所属した官職の1つです。

陰陽師には、天文観測などの科学者的な側面と、卜占を始めとした呪術的な側面があります。陰陽師の中で名を馳せたのが、安倍晴明です。安倍晴明は早くから実力を認められ、当時の貴族にも影響を与えたと言われています。

安倍晴明とは

現代にも名前が残っている安倍晴明ですが、謎が多い人物として知られています。安倍晴明の出生年は諸説ありますが、921年に生まれ、亡くなったのは1005年とされています。主に平安時代に活躍したと考えられます。出身地に関しては、大阪、讃岐、茨城の3つの説が唱えられ、ゆかりの神社やお寺が複数あります。

安倍晴明の師匠とされているのは、陰陽師・賀茂忠行です。賀茂忠行は安倍晴明の才能を見出し、陰陽道や天文道の奥義を教えたと言われています。平安時代から伝わる「今昔物語」には、安倍晴明と賀茂忠行の関係を示す逸話が残されていることがわかっています。

式神・十二天将と安倍晴明の関係

科学者的な側面と呪術的な側面を持つ陰陽師の中で、安倍晴明は特に呪術が高く評価されていました。加持祈祷をおこない、貴族への影響も強かったと言われています。

そんな安倍晴明が家来として従えていたのが式神・「十二天将」です。十二神将と呼ばれることもあります。安倍晴明が陰陽師として活動する上で欠かせない存在だったとされています。

式神・十二天将について

安倍晴明が家来としていた十二天将とはどんなものでしょうか。

占いの式盤に記載されていた

平安時代では、「六壬神課(りくじんしんか)」と呼ばれる占術がおこなわれていました。六壬神課とは、星座や時刻、干支を組み合わせることで占う方法のことです。人が亡くなると怨霊になったり、鬼になったり、それが転じて神様になったりしたのが平安時代です。当時の貴族は、六壬神課によって重要事項を決めることがよくあったと言われています。

六壬神課は式盤と呼ばれる円盤状の道具を回転させ、記された文字を読み取ることで占いをおこないます。十二天将は、この式盤に記載されていました。

吉将と凶将に分けられていた

十二天将は、十二支や十二星座のように、式盤に記載されている占いの1要素であり、霊的な存在という意味合いも持っていました。また、安倍晴明が扱った式神の中で特に強い力を持った神様と伝えられています。

基本的に、6人の吉将と6人の凶将に分けられるのが十二天将の特徴です。吉将は、六合・貴人・青竜・天后・大陰・大裳。多くの吉将が守護神として知られています。凶将は、騰虵 ・勾陳・朱雀・玄武・天空・白虎で、中国の伝説に登場する神獣であることが多いです。

式神・十二天将と、仏教の十二神将は別

式神・十二天将は「十二神将」と呼ばれることがあります。仏教にも十二神将が存在しますが、式神とは別物です。仏教における十二神将は、天界にいる12人の武将を指します。薬師如来と信仰者を守る12の願いを基に、12の月や12の時間、12の方角を守護する存在として知られています。

式神の役割について

陰陽道において、式神はさまざまな役割を担っていたと言われています。ここでは、式神の基本的な役割を解説します。

悪行や善行を見定める

式神は、人の心の中にある悪行や善行を明らかにする存在として知られています。通常時、式神は和紙札におさめられ、必要なときに陰陽師によって呼び起こされます。式神をおさめている和紙札は、式札と呼ばれました。

式札から現れた式神は、さまざまな形に変化します。異形の物や鳥獣などに変身し、陰陽師の意思に従ったと言われています。室町時代の「泣不動縁起絵巻(なきふどうえんぎえまき)」を始めとした絵巻には式神の姿が描かれており、その存在が信じられていたことがわかります。

雑用や掃除を承る

陰陽師と式神は密接な関係にあったとされています。特に式神との距離が近かったとされているのが、安倍晴明です。呪術的な意味で式神を扱うのはもちろんのこと、雑用や掃除も任せていたという言い伝えが残っています。

安倍晴明は式神と良好な関係を作っていた一方で、彼の妻は式神を恐れ近寄るのを嫌がりました。このため、普段は一条戻橋に式神を隠し、必要なときだけ屋敷に招き入れていたとのことです。式神や陰陽師には神聖で敷居が高い印象がありますが、こうした言い伝えを聞くと親しみを感じられるのではないでしょうか。

災いをはらう

奈良・平安時代は、さまざまな災いは妖怪や鬼(神様)によってもたらされるとされていました。陰陽師は式神を使い、災いをもたらすこれらのあやかしをはらっていたと言われています。

こうした言い伝えを基に、陰陽師や式神をテーマにした舞台公演が日本各所でおこなわれています。式神の伝説は、現代にも脈々と受け継がれていると言えるでしょう。こうした舞台公演を見て、陰陽師にまつわる神秘的な伝説を楽しむのも良いかもしれません。

式神は陰陽師の家来として活躍した鬼神

式神は陰陽師が活躍する上で欠かせない鬼神です。式神や陰陽師をきっかけに、古い文献を読んだり、縁あるお寺や神社を訪れてみるのも楽しいかもしれません。式神や陰陽師をテーマにした映画やドラマ、舞台公演も沢山あります。いろいろな手段で、人が亡くなると鬼にも神様にもなった頃の日本の歴史を学んでみてはいかがでしょうか。