七福神の1人、大黒天は怖い神様?真の姿やご利益とは

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七福神の1人、大黒天は怖い神様?真の姿やご利益とは
大黒天はインド神話にルーツを持つ神様です。元は荒々しい破壊神の姿をしていましたが、中国を経て日本に伝わる中で打ち出の小槌に大袋を背負った現在の穏やかな姿になりました。七福神の1人として知名度も高く、大黒天を祀るお寺も全国にあります。この記事では、大黒天の真の姿やご利益、祀り方や御朱印がいただけるお寺などを紹介します。

七福神の1人、大黒天はインドがルーツだった

大黒天(だいこくてん)は、大黒様とも呼ばれ、七福神の1人として広く親しまれています。もともとのルーツはインドにあるとされ、日本に渡って今の姿となりました。大黒天の真の姿や、今の姿になるまでを紹介していきます。

打ち出の小槌がトレードマークの神様

大黒天は、福を授ける7人の神様からなる七福神の1人として親しまれています。頭巾を被り、左肩には大きな袋、右手には昔話で有名な打ち出の小槌を持ち、俵の上に立つように表されることが多いです。また、垂れ下がった耳たぶに、満面の笑みを浮かべた顔も特徴的です。
福の神はさまざまなご利益を与えてくれるとされていますが、大黒天は特に五穀豊穣の神として祀られています。他にも、大黒天は台所の神様でもあるためネズミと縁が深く、「子日(ねのひ)」が縁日(ご利益を多めにいただける日)に当たります。
なお、七福神仲間の「毘沙門天」について以下の記事で紹介しています。大黒天とは違うご利益がありますので、併せてご覧ください。

ルーツはインド神話の神様「マハーカーラ」

大黒天のルーツは日本ではなく、インドの神話にあります。大黒天はインドではサンスクリット語で「Mahākāla(マハーカーラ)」と呼ばれており、これはインド神話で破壊と再生を司る「シヴァ神」が、破壊神となったときの異名です。
日本では「mahā=大きい」と「kāla=黒い」を訳して“大黒天”と名付けられました。また、サンスクリット語の響きから「摩訶迦羅(まかから)」と呼ばれることもあります。
大黒天のルーツであるマハーカーラの特徴は、3つの顔に6本の腕を持つこと。体は青黒色か黒色で表されることが多いです。曼荼羅や彫刻などでは様々なファイティングポーズをとっていますが、一例を挙げると次の通りです。右手の第一手に剣を持ち、左手の第一手は切先に添えています。さらに右手第二手で人間を、左手第二手で羊を掴み、左右の第三手で象の皮を掲げています。いつも笑顔でぽっちゃり体型の日本の大黒天とは真逆の恐ろしげな姿をしています。

日本では「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と習合

大黒天は、インドから中国を経由して日本に伝わってきました。特に中国では「かまどの神」と崇められていたため、日本でも大黒天は台所のかまどを司る神様として崇められるようになっていきます。
日本に渡ってきた大黒天はその後、平安時代頃に「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と習合します。大国主命とは国作り神話で知られる出雲の神様ですが、「大黒」と「大国」が同じ「ダイコク」という響きで通ずるため、次第に一体視されるようになったと言われています。
また、大国主命は袋を担いだ姿で表されることが多かったため、日本での大黒天はインドのマハーカーラのような荒々しい形相ではなく、大国主命に寄せた袋を担ぐ姿で表されるようになっていきました。

大黒天が現在の姿になったのは室町時代の頃

笑顔や持ち物の他にも、現代の日本で描かれる大黒天にはふくよかなイメージがあります。しかし、日本に伝わったばかりの大黒天は、ほっそりとした姿に描かれることが多い神様でした。それは、平安時代後期に作られたと見られている、大宰府の観世音寺所蔵の木造大黒天立像が、スリムな姿で厳しい表情を浮かべていることから分かります。
そこから大黒天が現在のような短身で福々しい姿になったのは、室町時代の頃に「大黒天=福の神」というイメージが定着し始めたのがきっかけだと言われています。

お金と出世の神様、大黒天のご利益とは

大黒天の良いものをたくさん持った、ありがたいお姿から分かるように、私たちにさまざまなご利益を授けてくれます。こちらでは、大黒天にはどのようなご利益があるのか解説します。

お金にまつわるご利益

大黒天を崇めると、五穀豊穣や商売繁盛など、主にお金にまつわるご利益があるとされています。なぜならば、大黒天が左肩に背負う袋は財宝、右手に持つ打ち出の小槌は湧き出る富、足で押さえた米俵は豊作を意味しているからです。

豊臣秀吉にあやかって出世・開運

農民から天下人へと大出世を果たした豊臣秀吉は、“三面大黒天”をお守りとして肌身離さず身に着けていたことで有名でした。三面大黒天とは、大黒天・毘沙門天・弁財天という3つの顔を持つ神のことです。
豊臣秀吉の名が世間に轟くようになると、彼が信仰していた大黒天は出世・開運にもご利益があると広く伝わるようになりました。また、豊臣秀吉の他にも加藤清正や徳川秀忠も、大黒天を信仰していたそうです。

大黒天を祀る方法

自宅や事務所などで大黒天を祀りたい、と考える人も多いのではないでしょうか。こちらでは、大黒天を祀る方法を説明します。大黒天の真言についても紹介していますので、お祈りの際にはぜひ一緒に唱えてみてください。

大黒天・三面大黒天だけを祀る場合

祀る際に特別な決まりはありませんが、大黒天、三面大黒天ともぞんざいに扱わないことが大切です。そのためお祀りする場所は、敬う気持ちを込めて自身の目線より高い位置にするのが良いでしょう。
そして、お祈りする際には真言を唱えます。真言とは「嘘のない真実の言葉」のことで、唱えれば信じる神様に想いが届き、心が落ち着いたり、願いが叶ったりするなど、少々呪術的に使用されます。修行者には悟りにつながるなど、もっと深い意味と意義があります。

真言は多数あり、大黒天・毘沙門天・弁財天でそれぞれ異なるので注意が必要です。大黒天は「オンマカキャラヤソワカ」です。三面大黒天でしたら、毘沙門天の真言「オンベイシラマナヤソワカ」、弁財天の「オンソラソバテイエイソワカ」も一緒に唱えます。

大黒天と恵比寿天を一緒に祀る場合

商売をされている家では、大黒天と恵比寿天を併せて飾ることも多いです。神棚に祀る際は、恵比寿天が向かって左、大黒天が向かって右になるようにします。また、大黒天と恵比寿天の正面が南か東に向くように、北の壁か西の壁に置くのが一般的です。
ちなみに、大黒天と恵比寿天には専用の神棚がありますが、一社造や三社造などの通常の神棚でも問題はありません。

大黒天にまつわる言葉

大黒天が由来の言葉に、大黒柱や大黒様があります。それぞれの言葉の成り立ちや意味を紹介します。

大黒柱

大黒柱は、家の中央に立てる最重要の柱のことで、一家や国を支える人の例えにも使われます。大黒天は台所と関係が深い神様ですので、その昔は台所や食堂に祀るのが一般的でした。台所のある土間と座敷の境にある柱に大黒天を祀ることが多かったため、“大黒柱”という言葉が生まれたと言われています。

大黒様(住職の妻を指すとき)

大黒天に親しみを込めて大黒様と言う以外に、住職の奥様を“大黒様”と呼ぶことがあります。大黒天は寺院の台所に祀られるため、切り盛りする奥様に尊敬の意味を込めて呼ぶようになったのが始まりとされています。

大黒天の御朱印をいただけるお寺

大黒天の御朱印をいただけるお寺から、高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)と大乗山経王寺(きょうおうじ)を紹介します。大黒天のお寺は七福神巡りにもおすすめなので、ぜひ足を運んでみてください。

高野山金剛峯寺

高野山にある金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山。平安時代のはじめに空海によって開かれた、境内総坪数48,295坪を誇る広大なお寺です。大黒天の縁日である「甲子の日」限定で御朱印がいただけます。
<住所>
〒648-0294和歌山県伊都郡高野町高野山132
<アクセス>
南海高野線「極楽橋」駅で乗り換え、南海高野山ケーブルで「高野山」駅下車

大乗山経王寺

大乗山経王寺は、1598年に創建された日蓮宗の寺院です。境内には大黒天像が祀られていますが、ほほえんでいるのではなく、厳しい表情をしているのが特徴的。この像は開創の際、日蓮宗総本山である身延山久遠寺から移されたものです。
大乗山経王寺の大黒天像は、度重なる火災に遭いながらも難を逃れたことから、「開運・火防せ大黒」としても崇敬されてきました。こちらの御朱印は、極太でダイナミックな筆づかいです。
<住所>
〒162-0053東京都新宿区原町1-14
<アクセス>
都営大江戸線「牛込柳町」駅下車、東口駅前

大黒天は日本ならではの姿に変化した神様

大黒天のルーツは、インド神話の神であるマハーカーラ。大黒天は日本の民間信仰に合わせて姿を変えた神様です。日本では五穀豊穣や開運・出世・財運向上などの神様として知られています。寺院などには多く大黒天像があるので、お葬式や法事、お出かけなどで見かけたら、ぜひ手を合わせてみてください。