「“死ねない世界”を楽しむ」アグネス・チャンさん【インタビュー後編】~日々摘花 第42回~

コラム
「“死ねない世界”を楽しむ」アグネス・チャンさん【インタビュー後編】~日々摘花 第42回~
2023年11月で日本での歌手デビュー51周年を迎えたアグネス・チャンさん。変わらない笑顔が印象的ですが、2007年には乳がんの手術を経験するなどこれまでの人生にはつらい時期もありました。後編ではがん発症をきっかけに始めたという「終活」や、死生観についてうかがいました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

日本の家に隠した3人の息子への「びっくり箱」

−−アグネスさんは「終活」についての本も書かれています。終活のひとつとして、3人の息子さんたちに、思い出の品々を入れた箱を用意されているそうですね。

アグネスさん:名づけて「びっくり箱」。 3つ箱を用意して、長男には彼が小学生の時に一緒に通った本屋さんのおまけ、次男には彼が好きだった科学館の入場券、三男には初めて抜けた乳歯など、息子たちと私の思い出のものをあれやこれやと入れています。現在、息子たちは外国で暮らしていますが、家族5人で暮らした日本の家に隠し、「ママが亡くなったら、探してね」と言ってあります。

いつか私がこの世を去る日が来たら、家族は悲しむでしょう。でも、悲しいだけではなくて、「ママと一緒に過ごせて楽しかった」「あの時はこんなこともあったな」とみんなの心が温かくなるような別れができたら、と思っています。

「びっくり箱」を作ろうと思ったきっかけは、2007年9月に乳がんと診断され、治療を受けたことです。当時、三男はまだ11歳。「彼が中学を卒業するまでは、何としてでも生きたい」「やり残したことがあるのに、どうしよう」と一時は頭が混乱しました。

この時に思い出したのが、ユニセフ大使としてアフリカ南部の国・レソトで出会ったお母さんたちの姿です。そのころレソトではHIVの感染が深刻で、まだ小さな子どもを残して亡くなるお母さんがたくさんいました。こうしたお母さんたちの心を支えるためにユニセフの職員たちが勧めていたのが、残される子どものために自らの思いを込めた品々を箱に入れていくことでした。

幸い私の乳がんは早期発見、早期治療のおかげで寛解し、15年経った今は自分ががんを患ったことを忘れてしまうくらい元気です。でも、忘れちゃいけないですよね。生きていることに感謝し、残された人生をいかに大切に生きるかを常に自分に問いかけています。

「偏見をなくしたい!」と、2008年がん公表へ

−−アグネスさんは2008年から日本対がん協会の「ほほえみ大使」を務め、ご自身の体験をもとに、がん制圧を目指す活動を続けていらっしゃいます。

アグネスさん: 乳がんの手術を受けた時、姉からは「公表はしない方がいいのでは」と言われました。香港では有名人ががんであることを公表するとイメージダウンになるという考えが一般的だったからです。でも、偏見をなくしたいという思いもあって、家族と相談したうえで公表しました。仕事が減っても仕方ない、という覚悟でした。

でも、結果的には皆さん応援してくれました。その恩返しのつもりでがんを制圧するための活動に携わりはじめましたが、逆に私が力をもらっています。がんを経験した仲間とともに地道な活動を続け、日本のがんの検診の受診率も少しずつ上がってきました。やりがいのある活動に参加したおかげで「生きている」という実感が強まっています。

残念ながら、一緒に活動してきた仲間には、再発などで亡くなった方もいます。悲しいけれど、彼らがこの世からいなくなっても、彼らがやろうとしてきたことを私たちが続ける限り、彼らは死んでないんですよね。一緒に活動をしている気がします。肉体はなくなっても、志はなくならない。そうはっきりと感じる今、死に対する恐怖心はあまりありません。

医師から乳がんを告げられた日、家で泣きました。悩んだし、治療の過程ではつらさも感じました。でも、がんを経験して、命の大切さを知りました。今を全力で生きるということを実践できるようになりました。我ながら、成長したなと思います。

YouTubeファンとAI専門家の三男に見る「過去を消せない」時代の到来!?

−−年齢のことはあまり言いたくありませんが、アグネスさんは68歳の今も歌手や社会活動以外に子育て関連の本をさまざまな国で出版したり、絵本を描いたりと常に新たなことに挑戦し、成長されている印象があります。

アグネスさん:成長しようと一生懸命ですが、世の中の変化が激し過ぎて。初めて日本に来たころは国際電話が高くて3分話すのがやっとだったのに、メールでやりとりができるようになり、今はオンラインのビデオ会議システムで外国に暮らす家族の顔を見ながら話せます。便利でありがたいけれど、使いこなすのにひと苦労。生きていくって大変です(笑)。

三男はAIの専門家ですが、彼の話を聞いていると、「まるで宇宙人みたい」と思います。彼らは私たちを新しい世界に連れて行ってくれるんでしょうね。この先、私たちの常識はひっくり返るでしょうし、テクノロジーの進化は現実とバーチャルの境目をなくして、「死ねない世界」がやってくると感じています。

−−「死ねない世界」、ですか。

アグネスさん:私が若いころの映像を「YouTube」で見てファンになり、今の私ではなく「YouTube」の中の私が好きという人たちの存在を知って、ふとそう思ったんです。最初は自分という存在が分裂していくようで、ちょっと不思議な感覚だったんですよね。もう存在しない自分を好きって、どういうことなんだろうって。でも、過去の自分というのは絵や漫画といった「作品」のようなもので、消せないし、消えないんだなと理解しています。

私は芸能人だから「過去の自分」が残りやすいところもあるかもしれないけれど、今の時代はSNSも広まって、過去の自分が消せない、消えないというのは誰にでも当てはまることだと思います。

−−それは「いいこと」なのでしょうか。少し怖い気もします。

アグネスさん:「いいこと」にしたいですよね。命で作られたものがずっと残り、続いていくのは素晴らしいこと。過去の自分が消せないのなら、「死ねない世界」を楽しみ、次の世代の飛躍につながるような「いい自分」を残したい。弱かったり、迷ったり、人は「いい自分」ばかりではいられないけれど、そうありたいと願うことによって、「いい自分」になっていくのだと思います。

−−最後に、読者の皆さんに言葉のプレゼントをお願いします。

アグネスさん:「一番好きな自分を追い求めよう」という言葉を贈ります。「自分が好き」「自分を愛する」というと、何となくネガティブなイメージを持つ人もいるかもしれませんが、自分を好きでいることはとても大事なこと。自分を愛せなければ、人を愛することもなかなかできません。一番好きな自分を追い求め、その自分を使って人と助け合い、幸せをわかちあってこそ、美しく生き、美しく死ねるのではと思います。

美しい世界を作る力は誰もが持っています。だから、人と比べるのではなく、自分のベストを尽くして毎日を生きられたら素敵ですね。

~EPISODE:癒しの隣に~

沈んだ気持ちを救ってくれた本や音楽は?
難しい質問ですね(笑)。音楽にはその存在そのものに癒されますし、本もさまざまな本の一言一句に心を救われたり、励まされたりします。だから、ひとつを選ぶことはできません。最近の私の癒しは、我が家のミドリガメの「亀さん」。餌をたくさん食べてくれると、「元気でいてくれて良かった」とうれしくなります。

iZoo(イズー)

東伊豆の河津町にある体感型動物園iZooはカメ、ヘビ、トカゲなど約400種類を展示する日本最大級の爬虫類・両生類の動物園。一部のカメは屋外で飼育展示されているため、日本にいながらして野生の姿を観察することができます。絶滅危惧種のガラパゴスゾウガメに日本で唯一触れ合えるほか、名物イベントのカメレースや亀の餌やり、爬虫類との記念撮影も人気。亀好きはもちろん老若男女問わず誰でも楽しめます。なお、カメが冬眠中のため、カメレースは毎年11月から3月までお休みとなります。

プロフィール

歌手・エッセイスト/アグネス・チャンさん

【誕生日】1955年8月20日
【経歴】香港出身。1972年、日本で歌手デビュー。上智大学国際学部を経てカナダのトロント大学・社会児童心理学科卒業。米国スタンフォード大学博士課程に留学し、1994年に教育学博士号を取得。芸能活動以外にも、エッセイスト、ユニセフ・アジア親善大使など幅広い分野で活躍している。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)