「『さよなら』じゃなく『またね』」サヘル・ローズさん【インタビュー後編】~日々摘花 第40回~

コラム
「『さよなら』じゃなく『またね』」サヘル・ローズさん【インタビュー後編】~日々摘花 第40回~
俳優やタレントとして活躍するサヘル・ローズさん。芸能活動の一方で、世界各地の難民キャンプや児童養護施設などの支援をライフワークとして続けています。後編ではお母様のグリーフケアのご経験を通してお感じになったことやご自身の死生観についてお話しいただきました。

痛みに“寄り添う”ことはできない。できるのは、受け止めること

−−2022年秋にお母様の弟さんが亡くなり、お母様が塞ぎ込んでしまわれたと前編でお話を伺いました。サヘルさんもずいぶん、おつらかったでしょうね。

サヘルさん: 私の実の家族は、私が4歳の時に亡くなったと聞いていますが、私には家族の記憶がありません。私にとって、養母だけが家族なのです。
サヘルさん:家族の死を知らない私は、最愛の弟を亡くした母の悲しみがどれほど深いのか、本当の意味では理解できていませんでした。だから、叔父が亡くなって数カ月経っても母が毎晩泣き、私にまで心を閉ざし続けることが悲しくてたまらなかったんです。「お母さんはひとりじゃない。私がここにいるのに、なぜ見てくれないの」って。

それでも笑顔でいようとしていたけれど、ある日、気持ちが抑え切れなくて「お母さん、お願いだから、もう悲しまないで。家の中がずっとお葬式みたい」と言ってしまったんです。

母は「わかった」とうなずき、その日から笑うようになりました。だけど、夜中に叔父の写真を見て声を殺して泣く母を見た時、「私が間違っていた」と思いました。悲しみを受け入れて前を向ける人もいれば、何年経っても立ち直れない人もいる。前を向こうとしても向けない母にとって「悲しまないで」という言葉が残酷だったことに気づいたんです。

「痛みに寄り添う」という言葉があるけれど、私は母に寄り添うことはできません。やっぱり、痛みってその人だけのものだから。「わかる」って嘘で、私には母の痛みはわからないし、母だって私の痛みはわかりません。

私にできることは多分、ありのままの母を受け止めることだけなのだと思います。ただ、それは簡単ではありません。叔父の一周忌を迎えた今も、悲しみのあまり誤解されるような言動をとることが母にはあって、正直なところ、途方に暮れることもしばしばです。でも、母は私の大事な家族。おたがいありのまま、ぶつかり合っても、母と生きていきたい。そう思っています。

長い間ずっと、自分は“疫病神”だと思っていた

−−お話を伺っていますと、サヘルさんは人に対しても、物事に対しても、とても真摯に向き合われていると感じました。その分、ご自身が傷つくことも多かったのではないでしょうか。

サヘルさん:私、ずっと自分は疫病神だと思っていたんです。実の家族とは戦争で別れて、養母は裕福な家庭で育ったのに私を引き取ったことで勘当され、夫とも別れることになってしまいました。ここ数年は個人的にさまざまな国の難民キャンプや児童養護施設を訪れて支援の旅を続けていますが、その度に自分が何もできないことを思い知らされます。「支援をしたい」なんて言いつつ、結局は何もできず、相手を不幸にしているんじゃないか、と自己嫌悪に陥り、苦しくなることもしばしばでした。
サヘルさん:でも、2019年にイラク北部のクルド人自治区を訪れたとき、シャハワンさんという男性とそのご家族に出会ったことが転機になりました。シャハワンさんはクルド系イラン人。クルド人はイラン、イラク、トルコ、シリアなどにまたがって暮らしていて、シャハワンさんは過激派組織IS(イスラミックステート)とイラク国内で戦う同胞を見捨てられず、イランのクルド人政党の兵士となって2014年にイラクに渡りました。

ところが、がんを発病。イランに帰国して治療を受けられればよかったのですが、イランからの独立を掲げるクルド人政党の党員は政府から弾圧を受けており、帰国は難しい状況でした。そのため、彼を放っておけずイラクに渡った家族とともにイラク国内に難民として留まり、私がお会いした時にシャハワンさんは末期のがんと闘っていました。

異国の地で言葉もわからず、貧しさの中で寄り添って暮らしているシャハワンさんご家族の姿が自分自身に重なり、シャハワンさんともご家族ともたくさんお話をしました。私のことも聞いてくださって、生い立ちやそれまでの支援の旅の話をし、自分の無力さを感じると素直に打ち明けた時、シャハワンさんが「そんなことはない。サヘルは天使だよ。僕はサヘルが僕たちの存在を知ろうとしてくれたことがうれしい。だから、サヘルに会ってみんな幸せなんだよ。その証拠に、お別れする時、みんな笑顔でしょう」と言ってくれたんです。

その後もシャハワンさんやご家族とはSNSで交流が続き、クラウドファンディングでたくさんの日本の方が協力してくださって、医療費の支援も届けることができたのですが、彼は2022年の暮れに亡くなってしまいました。

彼の妹さんから訃報を聞いた時、「やっぱり、私は天使じゃなかった」と思いました。でも、妹さんが後にこう話してくれたんです。シャハワンさんが私のことを「最後に天使に会えてよかった。生きるってずっとつらいことだと思っていたけれど、天使が来てくれたから、安心してあの世に行ける」と言っていたって。

その話を聞いて、私の中で何かが変わりました。私は天使じゃない。でも、シャハワンさんにとって私との時間が安らぎだったのなら、私の存在にも少しは意味があるのかな、って思えるようになった。私は疫病神じゃない、って初めて自分を認められるようになったんです。

「死後」について話すのは「未来」について話すこと

−−さまざまな出会いと別れを経験されてきた今、サヘルさんは「死」というものをどう捉えていらっしゃいますか?

サヘルさん:やっぱり、お別れは嫌いです。7歳まで孤児院で育って、施設では職員さんが入れ替わるし、可愛がっていた小さい子が引き取られて、ある日突然、会えなくなるようなことも日常的にあって。お別ればかりをしてきたから、すごく嫌いなんです。

死による別れとなれば、なおさら。とくに、母との別れは想像しただけでも怖いです。叔父が亡くなった後の母の精神状態を見ながら、思いました。母にはイランの家族がいなくなっても私がいるけど、母がいなくなったら、私はひとり。母は私の生きがいなのに、その存在を失ったら、どうなっちゃうんだろうって。その怖さはずっとあります。

ただ、シャハワンさんと出会ったころからでしょうか。ふと、死による別れは永遠ではないのかもしれない、と気づきました。私もいつか空に旅立ち、そこには、大切な人たちが待っている。悔いてばかりいては、みんなに顔向けできないと考えるようになったんです。地上に残された私がやるべきことは、みんなの分も生きること。彼らから受け継いだ命のバトンをしっかりと次の子たちに手渡すために、全力で人生を全うしなければ、と今は思っています。

そう言えば、「死」について母から学んだことがあるんです。数年前に母が「私が亡くなったら、お墓に入れるのはやめて。献体をしたいの」と言い、最初はとても受け入れられなかったんですね。でも、「自分の体が未来の医療のために役立つのなら、使ってほしい。自分がこの世を去り、魂がそこになくなったとしても、最後まで全力で自分の体を使って人生を全うしたい」と真剣に話す母の姿に打たれ、「私もする」と言って、ふたりで献体登録をしました。

この時に、大切な人と自分が亡くなった後のことについて話をするのは大事なことだと知りました。相手が亡くなったら、もうその人の言葉は聞こえません。そう考えれば、おたがいが最後に何を望むのかを話し合っておくのは、希望のあること。「終わり」ではなく、「未来」について話すことなんですよね。

だから、母とその会話を自然にできるようになったことは、よかったと思っています。大切な人との別れは想像するだけでも苦しいけれど、「死」について母と話せた瞬間から、より一層母のことを近くに感じるようになりました。
−−本当に素敵な親子関係ですね。最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

サヘルさん:「さよなら」が苦手で、「またね」という言葉を大事にしているんです。「さよなら」だと「終わり」を感じさせるけれど、「またね」なら、次に会える日を楽しみにできる。だから、「であいは、さよならじゃなく『またね。』なんだ。」という言葉を贈ります。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
白いごはんが食べたいです。白いごはん、大好きなんですよ。貧しかった我が家では、前に住んでいた人が置いていった炊飯器で炊いた、冷めた白いごはんがいつもの食事。ツナ缶があれば、ごちそうでした。あの冷たいごはんが思い出の味。温かいと心に染みないので、最後は冷まして食べます(笑)。

冷やごはんダイエット

冷めたごはんにはダイエット効果が期待できるのをご存知でしょうか。ダイエット効果の秘密は、ごはんが冷めると増える「レジスタントスターチ(難消化性でんぷん)」と言う物質。この物質は食物繊維と似たような構造を持ち、血糖値の上昇を抑制したり、血中濃度を下げる働きがあることから、冷めたごはんは温かいごはんに比べて太りにくいと言われています。

プロフィール

俳優・タレント/サヘル・ローズ

【誕生日】1985年10月21日
【経歴】イラン出身。8歳で養母とともに来日。高校時代に受けたラジオ局「J-WAVE」のオーディションに合格し、芸能活動を始める。レポーター、ナレーター、コメンテーターなどさまざまなタレント活動のほか、俳優として映画やテレビドラマに出演し、舞台にも立つ。
【そのほか】芸能活動以外では、国際人権NGOの「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めるほか、私的にも援助活動を続けている。公私にわたる福祉活動が評価され、2020年にはアメリカで人権活動家賞を受賞した。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)