「己を知る、足るを知る。それが幸せへの近道」おおたわ史絵さん 【インタビュー後編】~日々摘花 第9回~

コラム
「己を知る、足るを知る。それが幸せへの近道」おおたわ史絵さん 【インタビュー後編】~日々摘花 第9回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第9回のゲスト、総合内科専門医・おおたわ史絵さんの後編です。
前編では、お母様の処方薬依存症に苦しんだ日々をともに歩んだ、お父様との別れについてお話しいただきました。後編では、お母様の他界後のご自身の変化や、死生観をうかがいます。

「母を捨てる」ことへの自問自答

ーーお父様の他界から約10年後に、お母様も亡くなったそうですね。

おおたわさん:持病の大動脈瘤の発作で、ひとり自宅のベッドで亡くなっていました。父と同じ76歳でした。ベッドに横たわる母を見つけ、気がついたら体が勝手に動いて救命措置をしていました。母との関係にもがき続け、先に逝った父に「なぜママを迎えに来ないの?」と心の中で問いかけたことさえあったのに、不思議ですね。

父は人望が厚く、葬儀にはたくさんの友人や仕事仲間が参列してくださったのに対し、母の葬儀は密やかでした。母は生きるのが下手過ぎたんでしょうね。社会が狭く、性格的に人間関係を壊しがちで友人もだんだんいなくなり、母自身も人と会いたがりませんでしたから、亡くなったことを知らせた方も数えるほどでした。

ーーお母様を見送った後は、どのような思いでしたか。

おおたわさん:40年間母に振り回された日々がこれで終わったんだな、というのが正直な気持ちでした。たくさん背負っていた荷物をようやく肩から降ろせたような、すごく自分の人生が軽くなったという感覚がありましたね。あの時から私は、それまでとはまったく別の人生を歩き出した気がしています。

父は母のことを愛し続け、最後の最後まで母のことを案じて亡くなりました。その父の葬儀に、母は喪主でありながら参加しようとしませんでした。その行為はちょっと許し難いですが、時が経ち、母について本を書いたりすることを通して、ようやく母には母なりの理由があったんだろうということがわかるようにはなりました。

母には、父の死が受け入れ難かったのでしょう。母にとっては、それこそ父がこの世の中で唯一の味方だったでしょうから、本当につらかったんだと思います。だから、葬儀にも来ることができなかったんでしょうね。

依存症家族として、娘として、母にもっとこう接すれば良かった、という自責の念はあります。一方で、何が正解なのかは、今もわかりません。何をやってもうまくいかなかったかもしれないな、という思いもあり、自問自答はずっと続いています。人生というのはそういうものなのかもしれません。

この世の唯一の平等は、人が生まれて、死んでいくこと

ーーおおたわさんご自身は、「死」をどのように捉えていらっしゃいますか。

おおたわさん:中学1年生の時、同級生とおしゃべりをしていた時に「一番怖いことって何?」という話になり、「死ぬこと」と答えたのを覚えています。多分、そのころの私にとって死というのは怖いものであり、「死にたくない」という気持ちが強かったんでしょうね。ところが、大人になるにつれ、死が恐怖だという感覚は無くなっていきました。

死を「悪」だと捉える感覚がどうも日本人にはあり、「死んではいけない」「死なせてはいけない」と死を忌避しようとする傾向が強いですよね。でも、人は必ず死ぬものであり、死を「悪」と決めつけてはいけない、と思うんです。

もちろん、人を殺めていいということではありません。貧富や美醜、能力の差など不平等だらけの世の中で、たったひとつ平等なのは、人が生まれて来て、死んでいくこと。死は誰にも訪れるものだから、甘んじて受け入れなければいけないし、人の命を人が奪ってはいけない。そして、死がいつ訪れようと、それは決して「悪」ではなく、命というものは、その長短にかかわらず、平等に尊い。そんなふうに感じています。

ーー「死」の捉え方が変わってきたのはどうしてでしょうか。

おおたわさん:年齢を重ねたり、親を亡くした経験も影響していると思いますが、医師になったことが大きいかもしれません。一般的に平和な世の中では、人が亡くなっていく瞬間を見る回数は数えられる程度ですよね。だからこそ、死というのは「特別なこと」であり、人が亡くなることと、劇的な感情やドラマチックな要素をくっつけて考えるのだと思います。

一方、職業として、患者さんたちの死に数多く立ち合っていると、そこに過度なドラマは存在しないと感じます。死というのはまさに虚無で、その先には何もなく、「悪」すらない。だからこそ、「無」になる前に、どれだけ「幸せ」を感じられるかを大切にしたい、と最近よく考えます。

ばばあなら、ばばあでいいじゃない

ーーその「幸せ」とは、何でしょうか。

おおたわさん:「幸せ」の物差しは人それぞれですが、私にとっては、笑っている時間の長い日が続いていれば、それで充分です。もちろん、そのためには健康状態や人間関係も影響しますから、そういったこともひっくるめて、笑っていられる環境にあるというのが幸せなんだろうと思います。

そう言えば、先日、精神科のお医者さんと会う機会があり、ちょっとした時間に彼女が心理テストをしてくれたんです。絵を描いて、今の自分の心理状態やパートナーとの関係性などを読み取るものだったのですが、その結果を見て彼女が「おおたわ先生は、本当に幸せですね」と。

意外に思って、「いやいや、私はこんな人生だし、今はコロナ禍で仕事も先行きも見えなくて、どうしていいのかわからないんですよ」とゴニョゴニョ言っていたら、「でも、心理テストに『あなたは幸せです』と出ていますよ」と笑われました。

考えてみれば、なんだかんだあっても、家に帰れば夫がいて、2匹の犬もいる。朝起きる時も寝る時も、犬たちが寄ってきて、散歩に出かけて彼女たちが元気に歩いている姿を見れば、笑いたくもなる。ごはんもおいしく食べているし、それで充分かなと。確かに、不幸せと思うことがないんですよ。

ーー何よりですね。

おおたわさん:そうなんです。足るを知る、と言うのでしょうか。過度の期待をしないから、美容整形にもアンチエイジングにも興味がない。言葉が悪いですが、ばばあならばばあでいいじゃないって思うんですよ(笑)。自分を自分以上に見せたいという気持ちがないんです。

若い時は貪欲であることもエネルギーにつながるかもしれませんが、貪欲な人はその分、苦しみも多いですよね。「私はこんなんじゃない」とあがいて、あがいて、自分の首を絞めてしまう。己を知る、足るを知るというのが幸せへの最大の近道なんだと思います。

私の場合、30代後半で父を亡くし、40代後半で母を亡くしたことにより、ちょうどいいタイミングで自分の足で立ち、成熟できたように思います。おかげで、それまで自分を支えてきてくれた大人たちのありがたさを実感しましたし、己を知る、足るを知るという感覚を培うこともできました。今は、毎日を穏やかに過ごす幸せをしみじみと味わっています。

ーー最後に、読者の皆さんにお言葉をいただけますか?

おおたわさん:「毎日1回笑えれば それが充分幸せな人生」。笑うことの大切さは、医学的にも立証されているんですよ。よく笑う人は循環器の疾患が少なかったり、認知機能が良いというデータもあります。私は母に似て、もともとは笑うのが苦手でした。だからこそ、笑うことの大切さを感じています。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
2017年冬に旅した、南仏・カマルグ地方に再び行きたいです。フランス最大の湿地帯で、約10万ヘクタールの広大な土地に在来種の白馬、黒牛、約400種類もの野鳥などの野生の動物が生息しています。忘れられないのが、頭の上を飛んで行く野生のピンク・フラミンゴの姿。コロナ時代を生き抜く力を蓄えるためにも、大自然に身を置き、生命の強さをあらためて感じたいな、と思っています。

南仏・カマルグ地方への旅

おおたわさんは南仏が大好きで、2年がかりで幾度となく足を運んだ。カマルグを訪れた2017年1月は、リルシュルラソルグを基点にカマルグ、エグモルト、マルセイユから対岸ニョロン、アヴィニオン、ユゼスなどを巡った。

プロフィール

総合内科専門医 おおたわ史絵さん

【誕生日】10月15日
【経歴】総合内科専門医、法務省矯正局医師。東京女子医科大学卒業。大学病院、救命救急センター、地域開業医を経て現職。刑務所受刑者たちの診療に携わる、いわゆる数少ない日本のプリズンドクター。ラジオ、テレビ、雑誌などメディアでも活躍中。
【ペット】シーズー(名前:エンカ ♀)&コッカープー(名前:ポップ ♀)
【そのほか】日本で初めて刑務所での復帰支援に「笑いの健康体操」を取り入れ、積極的に再犯防止に取り組んでいる。

Information

著書『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)では、「ひとりでも多くの方が依存症を理解してくれることで、救われる人生もある」という思いを込め、母が処方薬依存症を発症するまでの経緯と、亡くなるまでの40年間を克明につづった。「教育ママ」で異常なほど娘に固執した母と、幼いころから母の顔色をうかがって育った自分の関係性や、依存症患者とその家族の関係性が描かれている。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)