「陸上への情熱は、亡き祖母譲り」元陸上選手・為末大さん【インタビュー前編】~日々摘花 第4回~

コラム
「陸上への情熱は、亡き祖母譲り」元陸上選手・為末大さん【インタビュー前編】~日々摘花 第4回~
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

第4回のゲストは、為末大さん。本編は、前・後編の2回に渡ってお送りする、前編です。
400メートルハードルの日本記録保持者(2020年10月現在)であり、陸上短距離種目の世界選手権で、日本人として初めてメダルを獲得。五輪にも三回連続出場を果たし、2012年に引退後は、代表を務める一般社団法人や会社を通じ、スポーツ界を支援し続ける為末大さん。前編では、おばあ様やお父様との別れや、別れを通して再発見した家族との関係性についてうかがいました。

「もう一度走りたい」。他界する直前に祖母が遺した言葉に、自分の原点を見つけた

※写真はイメージです
−−これまで経験された「永遠の別れ」の中で、とりわけ心に残っているのは、どなたとの別れでしょうか。

為末さん:最近で言えば、数年前に父方の祖母が亡くなったときのできごとが印象的でした。お正月明けに亡くなったので、ちょうど僕も広島に帰省していて、お見舞いに行ったんですね。祖母はすでに意識が薄れている状態だったのですが、時々はっきりと、ふたつのことを繰り返し言っていたんです。

ひとつは、「◯◯ちゃんはどこに行ったの?」と。祖母は原爆の爆心地からそう遠くないところで被爆していて、「◯◯ちゃん」というのは1945年8月6日当日、待ち合わせをして一緒に学校に行くはずだった友だちのことです。多分、原爆で亡くなったんでしょうね。

そして、僕がすごくびっくりしたのは、「走りたい」と言っていたんです。「もう一度だけ、全力で走ってみたい」と。

−−なんと、「DNA」ですね。

為末さん: そうなんです。祖母が女学校時代に「4×100メートルリレー」の選手として、今の「国体」のような全国大会に出場したことは誰かから聞いていました。でも、祖母は「昔のことだから」と多くを語りませんでした。だから、「走ること」に対して、祖母がそれほどまでの思いを持っていたことを初めて知って、僕と陸上のかかわりは「ここからかもしれない」と自分の原点を見つけたような思いでした。

というのも、僕の身近な親族に、際立って足の速い人は見当たらなかったんですよ。両親は陸上部でしたが、目立った成績は残してないし、両祖父もとくに何かスポーツをやっていたとは聞いていませんでした。

それに対して、僕は小さいころから圧倒的に足が速かったし、「走りたい」という思いが強く、何が自分をこんなにも「走ること」に対して駆り立てるんだろうと不思議でした。だから、祖母が亡くなる直前に「走りたい」と言ったのを聞いて、「ああ、これだったのかなあ」と思いました。

−−おばあ様は、世界大会で為末さんが走る姿をご覧になったことは?

為末さん: あります。世界選手権で初めてメダルを取った時にはカナダまで応援に来てくれました。

−−ずいぶんお喜びになったでしょうね。

為末さん: はい。ただ、「あまりはしゃぐのもちょっとね」というような文化がうちにはあって。インタビューを受けた時も淡々と答えたそうで、記者の皆さんが驚いていました。僕には「あまり一喜一憂しない」という癖があって、競技生活の中で身についたことでもあるのですが、最近は、家庭環境の影響が大きかった気がしています。

そう考えると、陸上選手として僕が活躍できたのは、両親や祖父母、近所でかわいがってくれた人たちといった周りの環境のおかげですよね。最終的に力が出せるかどうかは本人次第ではあるんだけど、それを許してくれる環境があったことに感謝するようにしています。意識的にそうしないと、ついはしゃいでしまいますから(笑)。

亡くなった父の口癖は「あんたのやりたいようにやりんさい」

−−為末さん自身は、ご自分の「死」について考えたことはありますか?

為末さん:僕は今42歳で、父が亡くなった52歳まであと10年。多分、そこまでは死なないだろうと考えていますが、父を思いのほか早く亡くした経験から、「人生がいきなり終わってしまうかもしれない」という思いはあります。

−−お父様が亡くなった時、為末さんは25歳。お父様を亡くしたことによって、ご自身に変化はありましたか?

為末さん:人生のはかなさを感じて、自分の人生をどう生きようと考えるようになりました。所属していた「大阪ガス」を退職し、プロになったのもこのころです。ただ、僕自身はあまり変わっていない気がします。父を亡くした悲しみは当然ありましたが、喪失感がさほどなかったからです。

これは父と僕の距離感が影響しているかもしれません。まず、僕は18歳で上京し、父と離れて暮らしていたので、不在の実感がありませんでした。それから、自分の息子を見ていても思うのですが、一般に父親と息子というのは、母親に比べて「個」と「個」の関係で、あまりべったりしてないですよね。だから、急に何かがなくなった感じがしなかったんだと思います。

−−お父様が生きていたら、意見を聞いてみたかったと思うことは?

為末さん:これはとても感謝しているのですが、両親ともに何かを「やりなさい」と子どもに言うことは小さいころからほとんどありませんでした。とくに父は徹底してそうですね。「あんたのやりたいようにやりんさい」といつも言っていました。ですから、僕自身、自分のことは自分で決めるという癖がついていて、父に意見を聞きたいと思うことはあまりなかったです。

あるとすれば、今の自分が自分のやりたいことをやれているか、人生をこんな感じのペースで生きていていいかなと聞いてみたいですね。生きている時はまったくそんなことは思いませんでしたが、不思議ですね。何となく、自分の中にバーチャルな「父」という存在があって、それを基準にしているようなところはあります。

「父にとって自分はこんな風に見えていたのかな」。息子が生まれてから、時折思う

−−お子さんが生まれて、お父様に会わせたかったとお感じになることは?

為末さん: それは、ありますね。父は姉や妹の子どもにも会っていないので、孫とどんな感じで遊んでいたのかな。父は「おじいちゃん」になれる雰囲気のない人だったんですよ。父方の祖父もそうだったのですが、何というか、「子ども扱いしない」というのでしょうか。「いずれにしても」というような堅苦しい言葉を子ども相手に言ってしまうようなところがありました。そういう人間が孫と会ったら、どんな感じだったのかなと興味があります。

あ、あと、子どもが生まれてから、父にとって自分はこんな風に見えていたのかなと時折思います。息子は今5歳で、ちょうど自分で考えて、自分でやってみたくなる年齢。そうやって「自動走行」を始めると、親のできることってあまりない気がしています。

唯一できることと言えば、「触らないこと」かなと思うんですよね。「こっちに行ったら失敗する」というのも親には見えていて、「行かない方がいい」とは思うんだけど、「まあ、やってみないとわからないから、仕方ないよね」という感じ。父もそうだったのかもしれません。

−−先ほど、お父様の死を通して、人生のはかなさを感じたとおっしゃっていましたが、生きているうちに息子さんにこれだけは伝えておきたいと考えていることはありますか?

為末さん:何かを伝えたい、とは考えないです。生きたいように生きている姿を見せることくらいかな。少なくとも息子が成人するまでは死にたくないと思っていますが、こればかりはわからないし、自分に何かがあった時の心配はあまりしていません。お金に困らないようにと何とかしなければというのはありますが、組織から独立して仕事をしてきた身としては、自立しなくなるリスクの方が怖い。そう考えると、少しぐらいはサバイバルが必要な環境に身を置くのも息子にとっていいのではとさえ思います。

どちらかというと、妻に万が一のことがあったときに、息子にどう説明したらいいんだろうということのほうが心配ですね。妻と息子の関係は僕と息子の関係よりも密接ですから。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
新鮮なお魚とお酒がいいですね。普段、お酒を飲むのは週3日ほど。ワインもウイスキーも飲みますが、最後に飲むなら、日本酒かな。青森の純米酒「田酒(でんしゅ)」を飲みたいです。

田酒の紹介

明治11年(1878年)創業の青森市唯一の酒蔵「西田酒造店」が醸す日本酒。醸造アルコールなどの添加物を使用せず、米だけで造られており、米の旨みが凝縮された味わいを楽しめる。

プロフィール

元陸上選手・為末 大さん

【誕生日】1978年5月3日
【経歴】広島県生まれ。法政大学経済学部卒。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2020年10月現在)。現在は人間理解のためのプラットフォーム「為末大学(Tamesue Academy)」の学長、アジアのアスリートを育成・支援する一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。おもな著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。
【趣味】料理。週に2回、長男のお弁当づくりをしている。
【そのほか】ブータン五輪委員会(BOC)スポーツ親善大使。

Information

為末さんの近著『 Winning Alone―自己理解のパフォーマンス論』(プレジデント社)。後進に向けて「人生で一度しかない五輪を悔いなく迎えてほしい」という思いを込め、毎週1本ずつブログに綴ってきた連載をまとめたもの。嫉妬心、スランプ、年齢、短所などとの向き合い方から、人脈やメディア、成功体験についての考え方まで、自分を進化させるための「気づき」を得られ、アスリート以外にもおすすめしたい一冊。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)