【本当は怖くない】般若の本来の意味とは?般若心経やお面との関係も

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【本当は怖くない】般若の本来の意味とは?般若心経やお面との関係も
「般若(はんにゃ)」とは「仏の智慧(ちえ)」を表す言葉です。しかし般若と聞くと、恐ろしい形相の鬼の面を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。この記事では般若とはそもそもどういったものなのか、その意味を解説します。また、鬼の面や般若心経(はんにゃしんぎょう)との関係についてもひも解いていきます。

般若の本来の意味とは

鬼の面の印象がある般若ですが、実は仏教と関わりの深い言葉の1つです。ここでは、般若の本来の意味を解説します。

般若とは仏教用語

般若は、古代インドの言葉であるサンスクリット語(梵語)の「プラジュニャー」やパーリ語の「パンニャー」に由来している仏教用語です。これらの言葉の音に合わせて漢字を当て、般若と書くようになりました。意味は「仏の智慧」です。仏の智慧とはさまざまな修業を積み、その結果得られる悟りであるとされています。

「仏の智慧」について

智慧と知恵は音が一緒ですが、意味は異なります。智慧は世の中の真理を知ることを指す言葉で、時代によって変化しない普遍的なものです。一方、知恵は頭が良い、賢い、優れているといった意味を持ち、時代とともに変化します。

仏教では、私たちはもともと、仏の智慧を授かって生まれてくるとされています。しかし、生きていく上で生じる煩悩によって大切な智慧を見失ってしまいがちです。そのため、仏の智慧とは学問のように学ぶものではなく、自分自身の中にあって気づくものとされています。

さらに智慧は、仏教の悟りを開くために必要な6つの善行である「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の中の1つです。


【六波羅蜜】

①布施(ふせ)
見返りを求めず施しや親切なおこないをすること。
②持戒(じかい)
戒律を守り、自分自身を戒めること。
③忍辱(にんにく)
苦しみや悲しみを耐え忍び、自分自身の心を動かさないこと。
④精進(しょうじん)
限りある生命を無駄にせず、たゆまぬ努力を重ねること。
⑤禅定(ぜんじょう)
集中力を鍛え、自分自身の心を冷静に見つめること。
⑥智慧(ちえ)
ものごとの真理を捉えること。

般若心経とは

般若とは前述したとおり仏の智慧という意味で、般若心経はその仏の智慧を説くお経を指します。般若と深いつながりのある般若心経についてもみていきましょう。

「仏の智慧」を説く般若心経

般若心経は「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」の根本経典とされています。大乗仏教とは、紀元前後〜1世紀ぐらいの間に成立したとされる仏教の一派です。大乗とは漢字のとおり大きな乗り物のことで、この仏教宗派の思想を大きな乗り物に例えて名付けられました。

大乗仏教以前は、修行によって己の煩悩を滅することを目指す利己的な仏教の教えが流行っていました。しかし、その考え方に異を唱える仏教指導者たちが現れました。彼らは、出家者(自分)だけでなく、一般の人(大衆)すべてを救うための仏教を掲げ、この考え方を大乗仏教と呼び始めました。日本に伝わっている多くの仏教は、この大乗仏教が中心となっています。

般若心経は欧米諸国でも数多く翻訳されている、世界でも有名なお経です。日本人にとっても身近な存在なので、葬儀や法要の場で耳にしたことがあるという人は多いでしょう。般若心経の名で広く知られていますが「般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)」が正式名称です。

般若心経の意味

般若波羅蜜多心経とは「真実や本質を見抜く力によって悟りの境地にいたるための大切な教え」です。300文字足らずの短いお経ですが、大乗仏教の中核となる思想の1つ「空(くう)」の思想が要約されています。空は「から」のことではなく、「実体がない」ことを指します。空の思想とは「無常」つまり「この世に常なるものはない」と悟ることです。

ものごとは常に変化し続けますが、その核となる本質は変わりません。般若心経の空は、変化に捉われず本質に気づくことの大切さを伝えています。

般若の面とは

仏の智慧を表す言葉であるはずの般若が、鬼の形相をした怖いイメージのお面となぜ結びついたのでしょうか。ここでは、般若とお面の関係について解説します。

般若の面が怖い表情なワケ

女の鬼を表現した般若の面には口の上下からキバが2本ずつ、額からツノが2本生えています。目を見開いて眉間にシワを寄せた嫉妬や恨みのこもる表情は、見るものを圧倒する恐ろしさがあります。

このように怖い形相の般若の面ですが、よく見ると怒りを表しているだけではありません。目から下の部分は確かに激しい怒りが感じられますが、目から上の部分には深い悲しみが感じられます。

般若の面はただ怖いだけではなく、顔の上下で鬼女の心の二面性を表しているのです。そこには、不本意ながら鬼になってしまった恥ずかしさやうしろめたさ、情念に翻弄されてしまった人間の悲しさや切なさが感じられます。

般若と言えばこの鬼女の面をイメージする人が多いですが、本来の般若に怖い意味はありません。鬼の面が般若と言われるようになったのは諸説あるとされています。

般若の面の名前の由来①能面師

鬼女の面が般若と呼ばれるようになったのは、「般若坊」という優秀な能面師の名前が由来とされる説が有力です。

その昔、大変優秀な能面師がいたそうです。しかし、あるとき自分の能力に限界を感じて創作活動が行き詰ってしまいました。どんなに時間をかけても納得のいく能面が作れず、スランプに陥ります。そんなとき、仏の力を借りて今まで以上に素晴らしい能面を作りたいと願い、自分の名前を仏の智慧を意味する般若に改名しました。改名後、般若坊の作る能面は傑作ばかりと有名になり、その中でも鬼女の面は特に優れていると評判になったそうです。

この逸話から、般若=鬼女の面というイメージが定着したとの説があります。

般若の面の名前の由来②能のネタ

面を使う伝統芸能の「能」にも由来するという説があります。

能とは能面を着用しておこなう仮面劇の一種です。主人公にあたるシテとその人に連れられて登場するツレの一部だけが能面を身に着けます。能面は演目によって種類が決められており、役専用のものはありません。

能に使われる鬼女の顔を表した般若の面はすべて同じではなく、色によって白般若・黒般若・赤般若に分かれ、品格や強さが違います。白般若は上品さ、黒般若は下品さ、赤般若は強い怒りを表します。また、究極の怒りを表した般若である「真蛇(しんじゃ)」と呼ばれる能面もあり、赤般若よりもさらに恐ろしい蛇を思わせる表情で、頬まで避けた口や耳がないのが特徴です。

さまざまな演目の中で、般若の面を着けた恨みに執心している怨霊が、改心したり悟ったりします。その姿から、鬼女の面を仏の智慧である般若と呼ぶようになったとされる説も由来の1つです。

また、源氏物語を題材にした演目「野宮」では、嫉妬や恨みから鬼の形相の生霊になってしまった六条御息所が祈祷によって退散する場面が描かれています。このときの祈祷が般若心経であったことから「怨霊や生霊を表す鬼女の面=般若」のイメージが定着したとの説もあります。

般若の意味を知り、自分を見つめ直そう

日々の慌ただしい暮らしの中では煩悩がもたげ、誰しもが持っているはずの智慧を見失ってしまうことがあります。そんなときには、写経やお葬式で、耳目にした般若心経を唱えるといいかもしれません。般若=仏の智慧が自分の中にあると思うことで、煩悩に悩まされつつも穏やかな毎日が送れることでしょう。