六根清浄とは仏教の教えの1つ|縁の深いスポットも紹介
お葬式のマナー・基礎知識
六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、心身が清らかになることを示す仏教用語です。霊山に登るときや、寒参りなどの修行の際に唱えます。六根とは視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚の五感と意識を合わせた6つを指します。本記事では、六根清浄の言葉の意味や仏教・神道とのつながりについて解説します。
六根清浄とは
六根清浄は、心身を清らかな状態にするという意味です。日本には、山に神が宿ると信じて崇める山岳信仰があり、修行のかけ声として六根清浄は使われています。こちらでは六根清浄の言葉の意味と、六根清浄が転じて「どっこいしょ」となったと言われる由来を解説します。
六根を清らかな状態にすること
六根清浄は仏教用語の1つです。六根の“根”は感覚器官などの感じる力を意味し、眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚)・意(意識)の5つの感覚と意識をまとめて六根と呼びます。そして、これら六つの力、ひいては心身を清らかな状態にすることを六根清浄と言います。
「どっこいしょ」の由来にもなっている
六根清浄という言葉は、日本に古くからある山岳信仰と関わりがあるため、現在でも念仏のように唱えながら山道を登る登山者もいます。六根清浄には、山中での安全祈願と、山を敬う気持ちが込められているそうです。
また、六根清浄は疲れて座るときなどに出る言葉「どっこいしょ」の由来になったとも言われています。どっこいしょの語源に関しては諸説あります。
六根清浄の功徳の解説
法華経には、5つの修行をすれば六根清浄の功徳(くどく)を得られるという教えがあります。こちらでは、功徳とは何か、六根清浄で得られるものとは何か、について解説します。
六根清浄の功徳とは?
功徳とは、現世・来世(将来)に幸せをもたらす善いおこないや神仏のご利益を意味します。六根清浄の功徳は次の通りです。
- 眼根清浄・・・目は心の状態を表す。善悪美醜を厳しく見分ける力。
- 耳根清浄・・・ありとあらゆるものの声を聞き、喜怒哀楽を共感できる力。
- 鼻根清浄・・・良い香りと悪い香りを嗅ぎ分けられる力。
- 舌根清浄・・・美味しく味わって食べられる力。口から出る言葉で人の心を動かすことができる能力。
- 身根清浄・・・御奉公をすることに生きがいを感じられる、清らかな身体。
- 意根清浄・・・感謝の心、慈悲の心、善悪を正しく判断できる心など、厳しさと優しさを兼ね備えた心。
六根清浄の功徳を受けるには?
六根清浄の功徳を受ける方法については、法華経で説かれています。法華経を大切に守り、受持(じゅじ)・読書(どくしょ)・解説(かいせつ)・暗唱(あんしょう)・書写(しょしゃ)の5つの修行をする人は、六根清浄の功徳が得られるとされています。
また、5つの修行の中で最も重要とされる受持は、ただお経や教本を持っているだけではなく、暗記する必要があります。六根については般若心経の中にも登場します。般若心経のどこに六根(無眼耳鼻舌身意)の記載があるのかは、下記の記事から確認できます。
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祝詞「大祓」にも登場する、六根清浄
仏教用語の六根清浄ですが、実は神道にも登場します。古い祝詞(のりと)の中に「六根清浄の大祓(おおはらえ、おおはらい)」というものがあります。その大祓の一部をかいつまんで紹介します。
六根清浄の大祓とは
祝詞とは、神様や神社のことが書かれた言葉です。お祭りや式典などで読み上げるときに失礼がないようにとても丁寧な言葉で綴られます。六根清浄の大祓はいくつかある祝詞の一種で、神事の際に宮司が読み上げます。
誰しも、生きていれば見たくないものを見たり、聞きたくないものを聞いたりする場面が必ず出てくるはずです。そんなときでも心に汚れたものを留め置かず、六根を清らかな状態に戻すことを伝えてくれるのが六根清浄の大祓です。
心身ともに健康になれる
以下に六根清浄の大祓の一部を取り上げます。
「目に諸々の不浄を見て心に諸々の不浄を見ず 耳に諸々の不浄を聞きて心に諸々の不浄を聞かず 鼻に諸々の不浄を嗅ぎて心に諸々の不浄を嗅がず 口に諸々の不浄を言いて心に諸々の不浄を言わず 身に諸々の不浄を触れて心に諸々の不浄を触れず 意(こころ)に諸々の不浄を思ひて心に諸々の不浄を想わず 比時(このとき)に清く潔きことあり」
「目に諸々の不浄を見て心に諸々の不浄を見ず 耳に諸々の不浄を聞きて心に諸々の不浄を聞かず 鼻に諸々の不浄を嗅ぎて心に諸々の不浄を嗅がず 口に諸々の不浄を言いて心に諸々の不浄を言わず 身に諸々の不浄を触れて心に諸々の不浄を触れず 意(こころ)に諸々の不浄を思ひて心に諸々の不浄を想わず 比時(このとき)に清く潔きことあり」
自分にとって悪いことや嫌なことがあっても、六根が清らかな状態であれば、心身ともに健康であるという、神様からの素晴らしい言葉です。
六根清浄の関連スポット
日本には六根清浄に関連する場所がいくつかあります。その中から、有名な三徳山と高尾山薬王院、御嶽山について紹介します。
鳥取県・三徳山
鳥取県三朝(みささ)町にある三徳山(みとくさん)は、日本遺産に認定されています。「神と仏の宿る山」とも呼ばれ、山岳修験の霊場としても有名です。三徳山の険しい山道を登っていくと、断崖絶壁の岩に投入堂(なげいれどう)の姿が目に入ります。投入堂は日本一危険な国宝とも言われ、神社本殿形式では日本最古に近い建造物です。
そんな三徳山で六根清浄をするには、まず近くの三朝温泉に入り、心身を清めた状態で翌朝に入山するのが良いとされています。
雨天などの災害により入山禁止や制限がかかる場合があります。入山前に公式ホームページやFacebookなどの確認をおすすめします。
雨天などの災害により入山禁止や制限がかかる場合があります。入山前に公式ホームページやFacebookなどの確認をおすすめします。
東京都・高尾山薬王院
東京都八王子市にある高尾山も、山岳修験の霊場として知られるスポットです。六根清浄を体感できるアイテムとして、「六根清浄石車」が山内の18ヶ所に点在しています。石の車輪を手で押すと、くるくると「目」、「鼻」、「耳」、「舌」、「身」、「意」が現れます。18ヶ所ある石車を「懺悔懺悔、六根清浄」と言いながら、それぞれ6回ずつ、合計108回転させて周ると功徳を得られるそうです。この108回は人間の煩悩の数と同じとのことです。
ちなみに、境内にある男坂(おとこざか)の階段も108段です。これは1段登るごとに煩悩が1つ解脱することを意味しています。
長野県、岐阜県・御嶽山
長野県木曽郡木曽町、王滝村と、岐阜県下呂市、高山市にまたがる御嶽山(おんたけさん)。古くから御嶽教(おんたけきょう)の霊場として信仰されてきました。頂上には702年に創建された御岳神社奥社があり、毎年夏になると白装束を着た人々が「六根清浄」と唱えながら山を登る姿が見られます。
六根清浄の類語
「心身を清める」という意味を持つ言葉は、六根清浄のほかにもあります。それぞれ言葉の示す状況や状態がやや異なるので、知識として覚えておくのも良いかもしれません。こちらでは、六根清浄の類語について解説します。
精進潔斎(しょうじんけっさい)
「精進」はひたすら仏道の修行に専念すること、「潔斎」はある一定期間は欲望を絶ち、心身を清めることを意味する言葉。修行中は肉を食べたり、酒を飲んだりすることを慎み、心身を清めることを意味しています。
斎戒沐浴(さいかいもくよく)
神に祈りを捧げる儀式をする前に飲食を断ち、全身を水で洗い心身を清めることを意味する言葉です。「斎戒」は飲食を断つというおきてを守り、心を清めること、「沐浴」は全身を水で洗い流し身を清めることを意味しています。
八面玲瓏(はちめんれいろう)
八面玲瓏は心の中に曇りがなく、清らかな状態を意味する言葉。または、「四方八方どこから見ても曇りがなく、透き通っている様子」や「誰とでも上手く付き合えること」を意味する言葉でもあります。
ほかにも銘酒の名にも使われている「明鏡止水」も澄み切った心を指す言葉です。そうありたいものですね。
六根清浄の意味を知り、仏教や神道の魅力に触れよう
六根清浄は、六根を清め、心を大切にするという仏教や神道の教えの1つです。文字だけを見ると難しく感じるかもしれませんが、意味を知ると「より善く生きるためのヒント」だと気づくことができます。頻度は低そうですが、葬儀や法事でも耳にすることがあれば意味をかみしめてみてください。