お釈迦様の本名と深遠な生涯。仏陀(ブッダ)とはどう違うのか

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お釈迦様の本名と深遠な生涯。仏陀(ブッダ)とはどう違うのか
悟りを開いたことで有名なお釈迦様は、日本人になじみの深い仏教の開祖です。そんなお釈迦様は数々な名前で呼ばれ、常人とは違った生き様を貫かれました。お釈迦様の人生をなぞりながら、同列に扱われることが多い仏陀(ブッダ)との違いも考察していきます。

お釈迦様の誕生と名前の由来について

お釈迦様の呼び名は、はじめから「お釈迦様」だったわけではありません。こちらでは、お釈迦様の誕生と時代背景、呼び名の由来を解説します。

お釈迦様の誕生と時代背景

仏教の開祖であるお釈迦様がこの世に誕生したのは、はっきりとした年代は分かっていませんが、今から約2,500年前の4月8日と伝えられています。シャーキヤ(釈迦)族の国王である父・シュッドーダナと、母・マーヤーの間に生まれました。生誕の地は、現在のネパール南部に位置する「ルンビニ」という村の花園と言われています。
お釈迦様が生まれた頃のインドとその周辺国は、国全体を統一する王朝が成立しておらず、多くの部族国家が林立していたそうです。

お釈迦様の名前

生まれたときのお釈迦様は、サンスクリット語の「ゴータマ・シッダールタ」という名前を付けられました。ただし、名前表記は複数あるため、別の発音である「ガウタマ・シッダールタ」とされることも。

お釈迦様の「ゴータマ・シッダールタ」という名前は、「ゴータマ」に「最上の牛」が、「シッダールタ」に「目的を達成する人」という意味が込められています。

「お釈迦様」という呼び名の由来

ゴータマ・シッダールタという名がありながら、「お釈迦様」と呼ばれるようになったのは、釈迦族の王子だからという説が有力です。また、悟られてからは、釈迦族の聖者として「釈迦牟尼(しゃかむに)」、釈迦族の尊者として「釈尊(しゃくそん)」とも呼ばれています。

お釈迦様の歴史について

仏教の開祖として現代にも多大な影響を与えているお釈迦様は、悟りを開くまでにさまざまな経験をされています。こちらでは、お釈迦様の歴史について順を追って解説します。

王子としての生活と結婚

お釈迦様は、母・マーヤーを誕生から7日後に亡くしています。しかし、母の妹であるマハー・プラジャパティーが親代わりとなり、釈迦族の王子として何不自由なく育ちます。16歳のときには、隣国の王女・ヤショーダラ姫と結婚。19歳のときに第一子となる息子・ラーフラが誕生しました。

妻子を残して出家。苛烈な修行の日々

お釈迦様は妻と息子とともに平穏な生活を送っていました。しかし、心の中では常に悩みを抱えていました。すべての人が直面する「生きること・老いること・病気になること・死ぬこと」。この4つの苦しみから人々を解放できないかという悩みでした。

人を生きる苦しみから解放する悟りを得たいと考えたお釈迦様は、29歳のときに妻と息子を城に置いて出家します。出家後はバラモン教の教えに従いながら修行の日々を過ごした、と伝えられています。

瞑想の末に悟りを開く

出家したお釈迦様は6年間苦行を継続したものの、なかなか悟りを開けずにいました。それでも修行や苦行を続けたお釈迦様の肉体は限界に到達。死線をさまよったお釈迦様は、ウルヴェーラー村に住む少女によって助けられ、一命をとりとめます。

その後のお釈迦様は苦行をやめ、菩提樹の下で瞑想をするようになります。その姿は周囲から理解されませんでしたが、やめることなく何日も瞑想を続けました。そして、12月8日、お釈迦様はついに悟りを開いたのです。このとき、お釈迦様は35歳になっていました。

最期まで教えを説き続けた

お釈迦様が初めて教えを説く相手として選んだのは、一緒に苦行をした5人の修行者でした。お釈迦様が苦行をやめたことを知っていた彼らは、当初その教えを拒もうと考えていました。

しかし、瞑想の末に悟りを開いたお釈迦様の姿や教えは彼らの心を動かし、考えを一変させました。そして、5人全員がお釈迦様の弟子になったのです。このときが、仏教の教団が成立した瞬間だと言われています。

お釈迦様は80歳で亡くなるまでの約45年間、仏教の開祖として人々に教えを説き続けました。その教えは年を経るにしたがって、誰にでもわかりやすいように、また、実践的になっていったと言われています。

お釈迦様と仏陀(ブッダ)の違い

お釈迦様とのことを仏陀(ブッダ)とも呼びます。なぜ呼び方が違うのか同一人物なのかは、かなり難しい問題です。仏陀の概要と、お釈迦様について考えてみます。

仏陀(ブッダ)について

まず、「仏陀」はサンスクリット語の「ブドゥ」という言葉が語源です。仏陀には「目覚めた人」や「悟りを開いた人」という意味が込められています。

お釈迦様と仏陀(ブッダ)の関係

お釈迦様は悟りを開いたので尊敬の念を込めて、仏陀と呼ばれています。これに誤りはありません。

しかし、お釈迦様ただひとりを仏陀とする説と、元々優れた修行者をすべて仏陀と呼んでいたため、お釈迦様はその中のひとりとする説があります。

研究対象や仏教宗派などそれぞれの立場や考え方によって、お釈迦様と仏陀の関係は変わってきます。いろいろな関連本を読んだり、寺院を訪ねて僧侶から法話を聞いたりすると、お釈迦様と仏陀の謎が解明できるかもしれません。

お釈迦様の弟子について

悟りを開き仏陀となったお釈迦様は、亡くなるまで仏教の開祖として数多くの弟子に教えを説き続けました。仏教のはじまりがお釈迦様であることは間違いありませんが、仏教をさらに発展させたのは弟子と言っても過言ではありません。そこでこちらでは、お釈迦様の弟子について解説します。

十大弟子の存在

現在に残された書物により、お釈迦様には1,000人以上の弟子がいたことが判明しています。その中の10人は「十大弟子(じゅうだいでし)」と呼ばれ、お釈迦様から絶大な信頼を寄せられていました。また、お釈迦様が亡くなった後は弟子たちが中心となってお経をまとめ、仏教を広めたそうです。

舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)

お釈迦様の弟子のなかでも特に優れていた十大弟子の中には、「二大弟子」と呼ばれる人物がいました。その2人は、「舎利弗(しゃりほつ)」と「目連(もくれん)」です。

舎利弗は「知恵第一」と言われるほど優れた弟子だったと伝えられています。もともとはインドの思想家・サンジャヤの弟子でしたが、お釈迦様の弟子になってすぐに悟りを開きました。

一方の目連は「神通第一(じんつうだいいち)」と言われた弟子で、舎利弗とは親友だったそうです。舎利弗から誘われてお釈迦様の弟子となった目連は、「神通力」と呼ばれる能力でお釈迦様の説法の邪魔をする鬼神などを追いやったり、餓鬼道(がきどう)におちた者を見つけて供養したりしていました。

二大弟子として仏教の発展に大きく貢献した舎利弗と目連はお釈迦様の後継者と考えられていましたが、残念ながら2人ともお釈迦様よりも先に亡くなっています。

その他の8人の弟子

十大弟子のうち、残り8人は以下の通りです。

1:摩訶迦葉(まかかしょう):頭陀第一(ずだだいいち)
人間の基本とも言える「衣食住」へのこだわりを捨て、欲望にとらわれない修行をした。

2:阿難陀(あなんだ):多聞第一(たもんだいいち)
お釈迦様に25年間も仕えた人物で、誰よりもお釈迦様の説法を聞いていた。

3:優波離(うぱり):持律第一(じりつだいいち)
戒律を守る性格から「持律第一」と言われるようになった。

4:阿那律(あなりつ):天眼第一(てんげんだいいち)
修行の末に失明するが、物事を見抜く「天眼」を手に入れた。
5:須菩提(しゅぼだい):解空第一(げくうだいいち)
仏教の思想を深く理解していたため、お釈迦様の良き話し相手だった。

6:富楼那(ふるな):説法第一
人々に教えを聞かせることが上手だったため「説法第一」と呼ばれた。

7:摩訶迦旃延(まかかせんねん):論議第一
お釈迦様の教えを人々に分かりやすく説いていた。

8:羅睺羅(らごら):密行第一(みつぎょうだいいち)
お釈迦様が出家をする際に、城に残した息子・ラーフラのこと。

今の仏教があるのはお釈迦様のおかげ

今の仏教があるのは、苦しい修行を経験し瞑想の末に悟りを開いたお釈迦様のおかげ、と言っても過言ではありません。お釈迦様の教えを知ると、人生がさらに豊かなものになることでしょう。