妻とともに悔いなく父を見送れた、
「家族葬のファミーユ」での4回目のお葬式

熊本県在住
T.M様(ご長男様)

生前の父と葬祭ディレクターの
心を繋いだ 「ボンタンアメ」

「よろしければ、こちらも一緒に棺にお収めいただけませんか?」

葬祭ディレクターが用意してくれた、父のお気に入りの駄菓子を棺に。

葬祭ディレクターが用意してくれた、
父のお気に入りの駄菓子を棺に。

父との最期の別れの時、葬祭ディレクターの小川さんから差し出されたのは、「ボンタンアメ」と「兵六餅」、「都こんぶ」。いずれも父が好きだった駄菓子です。とりわけ「ボンタンアメ」は大のお気に入り。いつもポケットに入れていました。パッケージを目にした途端、生前の父の姿が鮮やかに思い起こされました。

小川さんには4年前に他界した妻の母や、私の母の葬儀でもお世話になり、細やかな仕事ぶりはすでに知っていたものの、父の駄菓子の好みまでご存知で、思い出の品としてご用意いただいたことには、本当に驚きました。

聞けば、小川さんは母の葬儀後、49日までの祭壇の準備などで何度かうちに通い、その時に父が「ボンタンアメ」を小川さんに差し上げたとのこと。当時の会話から、父の好きな駄菓子がほかにもいくつかあることを知ったそうです。

「お父様の優しさとともに、温かなひとときが心に残っていました。ですから、私からもお返しをさせていただきたくて……」との小川さんの言葉に、あの父にそんな姿があったとは、と感じ入りました。というのも、父は無口で、頑固一徹。こうと決めたら自分の意思を曲げず、実のところ、息子としては「困った人だな」と感じることも少なくなかったんです。

一方で、父には情に厚い面もありました。妻の父が亡くなった時には、ひとりで暮らすお義母さんに何かと言葉をかけていたそうです。人が喜ぶ顔を見るのが好きで、アメリカで暮らす姉の子どもたちが遊びに来た時には、珍しく笑顔でみんなを見守っていました。

気難しい感じのする父でしたが、ただ不器用なだけで、本当は温かく、人が好きだったんだと思います。小川さんから父の「ボンタンアメ」の話をうかがって、「やっぱり、そうだったんだな」とようやく父のことがわかった気がしました。

父の葬儀は妻の両親や母と同じ
「ファミーユ」で、と決めていた

2017年に他界した母は明るくて話し好きで、対照的な性格の父とは夫婦げんかもしょっちゅう。でも、「お義父さんは、お義母さんが大好きだったと思う」と妻は言います。母が体調を崩してから亡くなるまでの数年間を思い起こすと、その通りかもしれません。父はヘルパーさんの力をお借りしつつ、料理や食事の介助などできるだけのことをして母を支えていました。

家族写真ムービーの右奥に見えるのは、父と母それぞれに感謝あらわした写真パネル

家族写真ムービーの右奥に見えるのは、父と母それぞれに感謝あらわした写真パネル

母の忌明け後、最初は元気に遊びに出かけたりしていましたが、張り合いがなくなったのでしょう。目に見えて弱り、寝たきりになってしまいました。住み慣れた家を離れたくない様子でしたので、妻とともに自宅での介護を3年間続けましたが、2020年11月に入院。3カ月後に病院で息を引き取りました。入院してからは、あっという間だった気がします。

父の葬儀は「家族葬のファミーユ」で、と決めていました。妻の父の葬儀を5年前にあげて以来、妻の母、私の母とお世話になって印象的だったのは、担当していただいたスタッフの皆さんがとにかく話しやすく、「道標」となってくださったこと。私たちの想いを理解して万全の準備を整えてくれましたし、疑問があればすぐに答えてくれるので、葬儀のことで不安を感じたり、悩むことがありませんでした。

とくに、過去2回の葬儀を担当してくださった小川さんのことは私も妻も信頼しており、「ぜひ小川さんに」とお願いして、父の葬儀は施行を小川さん、葬儀内容の打ち合わせを立薗さんに担当していただきました。

父とのひとときを
よみがえらせてくれた、
思い出のメニュー

打ち合わせ担当の立薗さんとお会いしたのは、今回が初めて。最初は私たちも少し身構えていたのですが、すぐにその必要はないとわかりました。落ち着いていて安心感があり、葬儀のことだけでなく、父のことや家族の思い出などいろいろな話を4時間ほどしました。私たちの気持ちを汲み取っていろいろな提案をしてくださり、「心のある方だな」と思いました。

その印象は間違っていなかった、と感じたできごとがありました。通夜当日、湯灌の儀で清めていただき、お風呂上がりのような父の顔を見て少しほっとしていた時、「お供えをさせてください」と立薗さんが運んできてくれた料理を見て、思わず言葉を失いました。父の行きつけの「広町 山本屋食堂」のソーメンと卵焼きがお店の器のまま、見慣れた佇まいでお盆にのっていたからです。

父が通った、創業明治10年の老舗「広町 山本屋食堂」の「そーめん」と「卵焼き」。

父が通った、創業明治10年の老舗
「広町 山本屋食堂」の「そーめん」と「卵焼き」。

父は「鶴屋百貨店」が大好きで、元気なころは毎日のように通い、帰りに「山本屋」で食事をするのがお決まりのコースでした。たまの休日に私が車で送り迎えをすると、とくに「ありがとう」とも言わず、ポンとお小遣いをくれたりしました。

「山本屋」に私や妻も一緒に行って、おごってくれることもありましたね。父が注文するのは、決まってシンプルな「A定食」。ところが、私たちには「これがおいしいよ」と「そーめん」や「卵焼き」をいつも勧めるんです。

父が亡くなった日、初めて会った立薗さんにそんな話をしたことは覚えています。ただ、何気ない会話のひとつに過ぎなかったんですよ。だから、父への想いをこんな風に形にしていただけるなんて思いもよりませんでした。お心づかいがすごくうれしかったですね。父とのひとときがよみがえり、仏頂面の父の優しさ、温かさをしみじみと思い起こしました。

凛とした表情の父の写真に、
身内ながら「かっこいい」と感じた

家族で積み重ねた思い出がたくさんつまった写真パネルの一部

家族で積み重ねた思い出がたくさんつまった写真パネルの一部

その後、向かった葬儀会場にはたくさんの花と写真。写真パネルの出来栄えには目をみはりました。打ち合わせで、母の葬儀の時点ではなかった「オリジナルプラン」を「故人樣らしさが伝わる空間になりますよ」と勧めていただき、立薗さんを信じてお願いしたものの、母の葬儀も思い出深いものでしたから、正直、ピンと来ていなかったんです。でも、写真パネルを見た時、立薗さんの言葉の意味がわかりました。

熊本市役所に勤務していたころの写真の数々や、母と営んでいた下宿の台所で珍しく夫婦ふたりで写っているスナップ。私が小学生のころに祖父母と家族みんなで撮った1枚や、姉の結婚式のポラロイド…。パネルに飾られた写真には、父の人生が凝縮されていました。そして、ご会葬の皆さまへのお礼を伝えるパネルと会葬礼状には、若いころの父の凛とした表情の写真。我が父ながら、かっこいいと感じました。手元にあった写真をお渡ししただけなのに、とびっくりしましたね。

ご会葬いただいた方々も、ホールに入るや否や写真パネルに目を留め、口々に「すごいね」と言ってくれました。1枚1枚の写真をじっくりご覧になって、ひとしきり思い出話で盛り上がり、「お葬式」の冷たく、暗い雰囲気は全くありませんでした。「楽しい話でお義父さんをしのべてよかった」と妻が言っていましたが、その通りだと思います。

会葬者へのお礼を伝えるパネル。縮小版を会葬礼状として皆さんにお渡しした。

会葬者へのお礼を伝えるパネル。縮小版を会葬礼状として皆さんにお渡しした。

参列いただいた方々へお礼のメッセージと、父の凛々しい横顔

参列いただいた方々へお礼のメッセージと、父の凛々しい横顔

父の葬儀は、
家族の集いのような温かな場だった

コロナ禍のお葬式で、広くお声をかけることはできませんでしたが、近くに住む親戚やご近所の方々が駆けつけてくださり、さみしくないお葬式ができて本当に良かったと思っています。父はああ見えて、人とのかかわりを大切にする人でしたから……。

コロナ禍の中でも、最期のご挨拶をしっかりとすることができました

コロナ禍の中でも、最期のご挨拶をしっかりとすることができました

渡航制限の影響で姉は参列できませんでしたが、父との最期の別れの際に、小川さんが姉からメールで届いたメッセージを読んでくれました。バタバタしていた私に代わり、小川さんが妻から姉のメールアドレスを聞いて連絡を取り、メッセージを受け取ってくれていたんです。姉から届いた思い出の写真もプリントアウトして飾ってくださり、ご会葬の皆さんに見ていただくことができました。

父の葬儀は家族の集いのような、温かな場でした。息子としては、一緒にいた時は気づかなかった父の想いを感じたり、写真の中の母の明るい笑顔を見て、あらためて両親のありがたさが身にしみました。「故人様にとともに、故人様と再び会うお母様のことも偲び、ご両親に感謝を伝えられる会にしませんか」と打ち合わせで立薗さんにご提案いただきましたが、まさにその通りのお葬式でした。

インタビュー取材の最後に、仏壇の前で小川ディレクターと撮影

インタビュー取材の最後に、仏壇の前で小川ディレクターと撮影

父を見送って半年が経ち、「あんなことができたらよかった」「こんなことをしてあげればよかった」と思うこともあります。でも、葬儀に悔いはありません。我が家は浄土真宗なのですが、浄土真宗というのは「今を生きる」ということの大切さを教えているんだそうです。父や母、妻のご両親がしてくれたことに、過去を遡ってお返しをすることは叶わないけれど、今、私たちにできる限りのことはできる。だから、悔いのない見送りができて本当に良かったですし、「ファミーユ」の温かなスタッフに守られて、安心してゆっくりと両親たちの最期に向き合えたことに心から感謝しています。

【式場】ファミーユ龍田
【時期】2021年2月
【故人】父(90歳)
【喪主】長男様
【会葬者数】90名
【葬祭ディレクター】立薗翔平、小川順子
【葬儀プラン】オリジナルプラン

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