「大好きなお父さんが、いつまでも皆さんの心に残るように」
コロナ禍だからこそ、弔問客をお迎えできて良かった
熊本県在住
T.I様(奥様)
夫の周りには人が集まり、
笑顔があふれていた
夫はとても優しい人でした。現役時代は転勤が多く、長い間、単身赴任で頑張ってくれました。息子たちのことを気にかけてまめに電話をくれ、声を聞くたびにホッとしたものです。離れて暮らした日々も、家族4人、心はいつもそばにありました。
定年で熊本に帰ってくると、あっという間に近所の方々と仲良くなり、地域の集まりに楽しそうに出かけていました。長男の妻ともいつも冗談を言って笑っていましたね。孫たちをとても可愛がり、延々と続くおままごとに楽しそうにつきあっていました。夫婦で農業関連の仕事に就き、一緒に自然に触れ合った時間も忘れられません。どこにいても、夫の周りには自然と人が集まり、笑顔があふれていました。
そんな夫に舌がんが見つかったのは、2016年の熊本地震から間もないころでした。すぐに手術をしましたが、その後も定期的に検査や入院をしながら過ごし、不安は常にあったと思います。それでも、息子たちの前でつらそうな顔を見せることはありませんでした。
昨年、がんの全身への転移を医師に知らされてからも、夫は「治る」と固く信じて治療を受けていました。私も同じです。2028年の金婚式を、絶対に夫婦揃って迎えようと心に決めて毎日を送っていました。
それなのに、こんなに早く別れの時が来るなんて。病院で夫が息を引き取った直後は、悲しさはもちろん、「どうして?」という思いで心がいっぱいでした。最後の最後まで、夫は「自分は生きる」と思っていたはずです。
コロナ禍で、家族しか
夫を見送れないと思っていた
葬儀について具体的なことは考えていませんでしたが、新型コロナウイルスの影響が続いていることから、夫に万が一のことがあったら、家族だけで見送るつもりでした。「そうしなければいけない」と思っていたんです。また、お通夜は亡くなった当日に行うものと思っていましたので、たくさんの方々にお知らせする時間もないと考えていました。
マスク着用、消毒・換気など基本的な感染対策は徹底されており、その点は打ち合わせ時から安心していました。
葬儀会社に「家族葬のファミーユ」を選んだのは長男です。近所に斎場があり、温かい雰囲気と、社名の「家族葬」という言葉が印象に残っていたようです。
病院から長男が電話し、「家族を中心に10人ほどの小規模な式を」と希望を伝えたところ、式場の和室で通夜と葬儀を行う選択肢もあるとうかがい、それもいいかもしれないと話していました。最後の時間を家族水入らずで過ごし、悔いのない別れを、と考えたからです。
「2部制」の提案を受け、
弔問客をお迎えしたいと思った
葬儀の打ち合わせでは、葬祭ディレクターの上田さんが私たちの話をうなずきながら聞き、「ご家族中心だからこそ、しっかりとお見送りができますよ」と言ってくれました。
でも、これで本当に悔いは残らないのだろうか————。さまざまなご縁を大事にしていた夫の姿を目に浮かべると、「本来なら、たくさんの方々に見送っていただきたかったのに」と申し訳なさが心から消えませんでした。
お通夜を「2部制」にして、
親族以外の方々も弔問にいらしていただけました。
そんな私たちに、上田さんは「こんな選択肢もありますよ」といくつもアイデアを出してくれました。中でもありがたかったご提案は、お通夜を翌日に営むこと。そして、親族とそれ以外の方々の弔問時間をわける「2部制」とすることです。親族以外の方々の弔問時間は飛沫防止のために読経や親族挨拶は行わず、少人数ずつ会場に入って焼香をしていただく、とのご説明でした。
お通夜を翌日にすれば、親族以外の方々にお知らせする時間ができますし、「2部制」で「密」を避ければ、皆さんに少しでも安心して参列していただける。お越しいただけるかどうかは別としても、夫がまぶたを閉じたことをご報告し、感謝をお伝えできます。
それこそが、一番の供養だと思いました。長男も同じ気持ちだったのでしょう。親族以外の皆さんもお呼びしたい、と力強い表情で上田さんに伝えてくれました。
息子たちが作り上げた、
夫との思い出あふれる空間
お通夜の日の朝。「葬儀会場に飾ってもらおうと思って…」と長男夫婦が差し出した4枚のコルクボードに驚きました。50枚を超える写真が夫の人生のステージごとに丁寧にまとめられています。「じいじ、ありがとう」と文字があしらわれたボードをながめると、孫たちに囲まれて目尻を下げた夫が目に飛び込んできました。「お父さんがニコニコしている」と、胸がいっぱいでした。
長男夫婦手づくりの写真ボード。照明のやわらかな光が、家族の思い出を照らしてくれました。
写真ボードは長男の妻のアイデアで、夫婦ふたりで何冊ものアルバムをひっくり返して、寝ずに作ってくれました。若いころから最近までの夫の写真を見返して、長男はいろいろと思うところもあったようです。「父親になった今、若いころのお父さんの写真を見ると、僕たちに注いでくれた愛情の大きさをあらためて感じた」と後日話していました。
次男と猫たちも一緒に、
あたたかい笑顔が愛おしいイラスト。
長男夫婦が用意してくれたものは、写真ボード以外にもありました。私たち夫婦と次男の似顔絵を納めたフレームや、メッセージカード、花紙で作った花たち…。「こんなにたくさん、飾ってもらえるかしら」と少し気になりましたが、葬祭ディレクターの上田さんと小川さんは「もちろん大丈夫ですよ」と笑顔でした。一つひとつの品々に込められた長男夫婦の思いを上田さんや小川さんはわかってくれていたのでしょう。ふたりの希望をていねいに聞いて配置をしてくれました。
「じいじ、喜んでくれるかな?」。
葬祭ディレクターの小川さんに勧めていただいて、夫への贈り物として塗り絵をする孫たち。最期のお別れで、棺に納めました。
展示スペースの飾りつけにも家族で参加させてもらい、「思い通りにやらせていただけた」と長男夫婦がとても感謝していました。私はいろいろと慌しく、任せきりだったのですが、8歳と4歳の孫たちもこうしようかな、ああしようかなといろいろ考えてくれたようです。できる限りのことを手伝っていた次男の姿からも、夫への思いが伝わってきました。
皆さんに最期のご挨拶ができ、
夫も喜んでいると思う
長男夫婦がお通夜の晩に編集した、夫のメモリアルビデオ。葬儀当日にお渡ししましたが、小川さんの機転で、最期のお別れの前にみんなで見ました。
お通夜には、地域や息子たちの勤務先の方々、私たち夫婦の友人などたくさんの方々にご弔問いただきました。皆さん、ことごとく息子たちが作ってくれた空間に立ち止まり、夫の写真を長い間見てくださっていました。「これほどまでにお父さんを偲んでくださるとは」と感じ入り、あらためて夫を誇りに思いました。
コロナ禍でのお通夜と葬儀。「参列できないものと思ってさみしかったけれど、最期にお顔を見ることができてよかった」とのお言葉をたくさんの方からいただきました。
また、ご参列がかなわなかった方々にも、会葬礼状をおほめいただきました。文章は、私の話を「家族葬のファミーユ」にまとめていただいたもの。「お人柄がすごく伝わってきました」「すごく仲が良かったんですね」と言っていただき、うれしかったですね。
折々に撮っていた家族の記念写真と、オリジナルメッセージ。
最期のご挨拶ができ、夫も喜んでいると思います。コロナ禍だから「できない」と思っていましたが、コロナ禍だからこそ、皆さんに夫を見送っていただけて本当に良かった。「家族葬のファミーユ」が親身になってさまざまな提案をしてくださり、サポートしてくれたおかげと、心から感謝しています。
告別式での長男の挨拶の言葉を胸に、
「頑張ろう」
「大好きなお父さんが、いつまでも皆さんの心に残るように」
その一心で、家族一人ひとりが自分のできることを精一杯やった3日間。悔いなく見送れた、と思います。だけど、悲しみは消えません。時が経つにつれさみしさが募り、夫が亡くなった直後よりも今のほうがもっと泣いています。
でも、私には長男夫婦や孫たち、次男がいるし、姉妹のように育った従姉妹も近くに住んでいます。夫との最期のお別れで、従姉妹が夫に「Tちゃん(私のこと)は私(従姉妹自身)が助けるから」と言ってくれたんですよ。だから、私も言いました。「お父さん、大丈夫だから。しっかり生きていくからね」って。
どんなときも、笑顔だった夫。晩年は病気で体もきつかったと思いますが、最期まで希望を捨てませんでした。その姿は、家族みんなの心に受け継がれています。「母も僕たちも、父のように生きていきます」という告別式での長男の挨拶の言葉を胸に、「頑張ろう」っていつも自分に言い聞かせています。
手づくりの写真ボードは自宅に持ち帰り、
夫の位牌を囲むように並べています。
長男夫婦、次男や孫たちと一緒に。
(前列左端は上田ディレクター)
【式場】ファミーユ花立
【時期】2021年2月
【故人】夫(72歳)
【喪主】妻
【会葬者数】56名
【葬祭ディレクター】上田龍、小川順子
【葬儀プラン】オリジナルプラン
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