コロナ禍で、最後の日々にそばにいられなかったけれど…。
夫への感謝を込めて、家族で作り上げたお葬式

千葉県在住
K.M様(奥様)

努力家で家族思いの夫。歯科医の息子を
支えようと、定年後は歯科技工士に

夫は明るく辛抱強く、努力を積み重ねる人でした。精密機器を扱う会社に長年勤め、「子どものころの僕には、工場の機械油のにおいがお父さんのにおいだった」と息子は懐かしそうに話します。

定年退職後は、歯科医師である息子の力になりたいと歯科技工士の国家資格に挑戦。合格を成し遂げ、息子と一緒に仕事をしていました。息子が治療をして、夫が技工物を作り、患者さんからの「滑らかで気持ち良い」との言葉にふたりして喜んだ、と話してくれたことが忘れられません。言葉数は多くなかったけれど、優しく、家族から何かを頼まれて「できない」と言う姿は見たことがありませんでした。

DIYが好きで、食器棚など家具もちゃちゃっと作るのです。晩年は、道具一式を揃えて木彫りの仏像も彫っていました。やるからには工夫を凝らさずにいられないのでしょうね。透し彫りを施したり、宝剣の取り外しができるようしたりと細工が細かく、感心したものです。

彫刻刀

DIYだけでなく、晩年は仏像彫りにも挑戦。
未完の像も大切に残しています。

他界する2年前から体調を崩し、外出と言えば通院のみとなりましたが、息子の歯科医院の経理を手伝ったり、棚の手直し、仏像彫刻をしたりなど手だけは動かし続けていました。ところが、だんだん弱って仏像も最後まで彫れなくなり、床に伏せがちに。昨年11月に救急車で運ばれて入院しました。

「いよいよ覚悟しなければ」と感じ、娘と一緒に「家族葬のファミーユ」に事前相談にうかがったのはそのころです。1年半ほど前に「家族葬のファミーユ」によるご葬儀に娘と参列し、温かさを感じるすごくいいお式だったことから、一度ご相談してみようという話になったのです。事前相談ではいざという時の段取りをうかがい、どんな質問にも丁寧に答えてくださり、安心して帰ったのを覚えています。

夫へのそれぞれの思いを胸に、
家族が一丸となって葬儀を準備

昨年10月中に夫は一度退院しました。我が家に戻り、ほっとしたのでしょう。「もう何があっても、入院はしない」と言い、私も「今までと同じ治療なら、家でできるよね」とうなずきました。でも、翌月、倒れて苦しそうな夫を放ってはおけず、救急車を呼んで再び入院。5日後に息を引き取りました。

家に帰りたい──。本人はその一心だったと思います。でも、生きては帰れなかった。だから、せめて最後にその願いを叶えたいと家族で話し、病院に迎えに来てくれた葬祭ディレクターの相原さんにお願いして、夫を自宅に連れてきて頂きました。

自宅に着くと、娘の長男を筆頭に孫たちが、夫を迎えやすいようにとガラス窓を半分外したり、部屋を整えたり、かいがいしく働いてくれました。

私たち夫婦は娘と同居しており、孫たちはみんなおじいちゃんが大好き。夫の通院日に私が行けない時も、孫が代わる代わる付き添ってくれました。この日も私に「おばあちゃん、ここは任せて」と声をかけてくれ、どれほど心強かったことかわかりません。

息子は病院で夫を看取った後、職場に戻りました。それが夫と息子の約束だったからです。夫は息子に、「自分に万が一のことがあっても、仕事は集中してやってこい」と話したそうです。息子も本当は父親との最後の時間を、少しでも長く一緒に過ごしたかったに違いありません。でも、夫との約束を守って患者さんの診療にあたり、帰宅後は、喪主として、娘と役割分担をしながら、葬儀に向けてさまざまな準備を進めてくれました。

家族にそっと寄り添い、
支えてくれた葬祭ディレクター

夫が他界してお通夜まで2日。家族それぞれが自分のやるべきことを別々の場所で進めながらも、夫のことを「できる限りのことをして見送りたい」と心はひとつでした。そんな私たちに相原さんは静かに寄り添い、誰の話も必ず最後まで頷きながら聞いてくれました。そして、口を開く時はゆっくりと、丁寧にお話をされるのです。おかげで心が落ち着きました。

写真パネル

パネルいっぱいに飾られた、
家族の思い出があふれる写真

お願いしたことには、何でも穏やかな笑顔で応えてくださったこともありがたかったです。例えば、写真パネル。「思い出のお写真でいっぱいのお式も、温かな雰囲気ですよ」と相原さんに助言を頂き、娘と孫たちが写真を準備してくれたのですが、「こんな写真もあるよ」「あ、あの時の写真も」と次々に見つかって……。お通夜前日の夜中に追加でお送りしたのです。

さすがにこの時間から写真を増やすのは難しいだろうと半分あきらめていたのですが、翌日の午前中に会場に入ると、素敵なレイアウトのパネルが何枚も飾られており、家族みんなで驚きました。

思い出の写真がいっぱいの、
温かなお葬式

写真パネルの前では、葬儀にお集まりいただいた方々と思い出話に花が咲き、悲しみの中にもほんわりと心が明るくなりました。久しぶりにお会いした親戚からも、「楽しく毎日を過ごしていらっしゃったのね」と言っていただき、たくさんの写真を見てもらえてよかった、と思いました。

写真パネルに見入り、ありし日の夫の姿をしのぶご会葬の皆さま

写真パネルに見入り、
ありし日の夫の姿をしのぶご会葬の皆さま

オリジナルの会葬礼状も、ご参列いただいた方々におほめいただきました。息子が中心となって夫の人柄や家族のエピソードを見開き1枚の用紙に箇条書きしたものを、相原さんが文章にまとめてくださったのです。夫の人生や私たちの想いが盛り込まれており、「こんな風に書いてくださるなんて」と胸がいっぱいになりました。ご会葬の皆さまが文章の隅々まで読んでくださって、本当にうれしかったですね。

夫の写真とともに、オリジナル会葬礼状の文章をパネルに。文面には、娘や息子が小学生のころに「富士急ハイランド」に行き、プールで冷えた体を温めるために一皿のポテトを家族で分け合って食べたエピソードなど家族の思い出も盛り込まれています。

夫の写真とともに、オリジナル会葬礼状の文章をパネルに。文面には、娘や息子が小学生のころに「富士急ハイランド」に行き、プールで冷えた体を温めるために一皿のポテトを家族で分け合って食べたエピソードなど家族の思い出も盛り込まれています。

葬儀会場には、相原さんのアイデアで、夫による木彫りの仏像も飾りました。丁寧に彫られた仏さまを見て、皆さん口々に「立派ね」「ご主人らしいね」と言ってくれました。相原さんには、夫手作りの仏像を開眼供養し、仏壇の御本尊として祀ることもできると教わり、家族で相談してそうすることにしました。プロならではの知識をもとにご提案いただき、とてもありがたかったです。

お供えには、夫が大好きだった日本酒や刺身、ナッツなどのおつまみを相原さんがサプライズで用意してくれました。日本酒の銘柄は、夫お気に入りの「越後桜」。葬儀の打ち合わせ時に夫の部屋にあり、「これ、好きだったよね」と家族で何気なく話したことを覚えていてくれたのでしょうね。

夫の葬儀が家族の絆を
一層強めてくれた

最後のお別れでは、夫の口にみんなでお酒を含ませ、何度も何度も「ありがとう」と言って柩の蓋を閉じました。夫婦として歩んで54年。私や子どもたち、孫たちを自由にさせてくれ、いつも力強く支えてくれた夫には、感謝をし尽くせません。

葬儀を終え、自宅に戻ると、いつも夫が定位置にしていた場所の広いこと、広いこと。リビングの片隅にパソコンや書類を自分の手に届くよう置いた、狭いスペースですが、すごく広く見えるのです。夫がいないだけで、家がこんなに空っぽになっちゃうんだ、と感じました。

四十九日の法要を終えてからも、さみしさは消えません。コロナ禍で仕方ないとはいえ、病院での最後の日々にそばにいて、「頑張って治療して、家に帰ろうね」と声をかけてあげられなかったことが申し訳なく、後悔の念もあります。だからこそ、葬儀を悔いのないものにできて、本当に良かったと思っています。

ご自宅に今でも飾られているパネルの前で(後列左から2番目がご長女様、前列左端が担当した中尾さん)

仏壇の前で娘と息子、
担当の葬儀ディレクター(後列右側)と

実は、夫は生前、葬儀について「簡素に、直葬で」と言い、娘が冗談めかして「仰せの通りに」と答えたことがありました。でも、いざとなると、「あれもやってあげたい」「こうしてあげたい」と想いがあふれるものですね。夫の「仰せ通り」の葬儀はできませんでしたが、家族みんなが力を合わせる姿を見て、喜んでくれていたはずです。

親族も「いいお葬式だったわね。ご主人の生前の姿を思い出させる、温かさに包まれたお葬式だったわ」と何度も言ってくれます。夫の葬儀の話から、にぎやかなおしゃべりが始まるんですよ(笑)。折に触れて皆さんが夫の姿を思い出してくれるような場を「みんなで作れた」という思いが、家族の絆を一層強めてくれたと感じています。

【式場】ファミーユ六実
【時期】2020年11月
【故人】お父様(86歳)
【喪主】ご長男様
【会葬者数】親族:22名
【葬祭ディレクター】相原寛之
【葬儀プラン】オリジナルプラン

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