フリーアナウンサー(宮崎県)
坂井 淳子(さかい じゅんこ)さん
エフエム宮崎を退社後、フリーランスのアナウンサーとしてラジオ番組を中心に活動を続けています。仕事柄、結婚式の司会を頼まれることは多いのですが、葬儀関連で仕事をすることはまずありません。ですから「家族葬のファミーユ」さんから文化講演会の司会のお声がけをいただいた時は、正直なところ驚きました。
しかし、高見信光元会長のお父様で「綜合葬祭みやそう」の創始者・高見忠典さんがよく「文化」について語っていらしたのが印象的で、私としても「これからは葬儀が文化の場所になる」と思っていたこともあり、ためらうことなく快諾させていただきました。
初めて司会を務めたのが、2004年の第16回文化講演会。講師にお迎えした作家の五木寛之さんが、新聞のコラムで「宮崎の聴衆はあたたかい」とおっしゃっていたように、会場のホールはいつも、ほっこりとした雰囲気に包まれています。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さんをお迎えした時は、台風にもかかわらず多くの方が来場。感激された鎌田さんが、特別なエピソードを語ってくださったこともありました。
文化講演会にお集まりになるみなさんは、顔なじみになっている方も多いようで、「今年もお元気そうでよかった!」と笑顔で挨拶を交わされます。そんな様子を見ていると、私もとてもうれしくなります。
文化講演会以外にも、進行を担当する葬儀セミナー、講師を務める「さげもん(つるし雛)教室」などのイベントで、地域のみなさんとふれあう機会があります。そのたびに、ファミーユさんの各ホールは、お別れの場ではあるものの、決してさみしい場所ではない。やさしい笑顔と絆が生まれ、広がっていく場所なのだと感じます。
そんな素敵な空間が全国に100もできたことは歓ばしく、これからもっともっと増えていくことを願っています。
セレモニーフラワー 花房(愛知県)
代表 間瀬 直(ませ すなお)さん
生花祭壇を設計・制作している「セレモニーフラワー 花房」は、2009年から「家族葬のファミーユ」愛知支社が管轄する4つのホールで花祭壇を担当しています。
他の葬儀社からの依頼も受けていますが、ファミーユの花祭壇のオーダーは、他社とは一線を画しています。例えば、あるディレクターから「花祭壇で『宇宙』を作れませんか?」と相談された時には、さすがに「宇宙ですか!?」と驚きました。
ディレクターから話を聞くと、故人様の趣味だった「天体観測と音楽」を花祭壇で表現したいとのこと。ご親族が以前にファミーユでの葬儀に参列されたことがあり、花祭壇がとても印象的だったといって、ホールのある半田市外からわざわざ訪ねてこられたとも聞きました。
そこで、ご家族の期待や担当ディレクターの熱意に応えたい!と奮起。ディレクターとアイデアを出し合い、花祭壇のコンセプトは「宇宙に流れる音色」に決まりました。
ホールの照明をほの暗く灯して、宇宙を演出。遺影のそばにブルーのデルフィニウムの花で地球をかたどり、周囲には小惑星も配しました。さらに、故人様が愛用していたクラリネットを飾らせていただき、花で作った音符も散りばめました。ご葬儀では担当ディレクターが選んだ音楽も流したところ、ご家族にとても喜ばれたそうで、私にとっても忘れがたいものになりました。
常に「故人様とご家族のために」と奮闘するディレクターには敬服するばかりで、そんなディレクターの力になりたい、応援したいという気持ちでこれまで伴走してきました。真摯に取り組むファミーユでの仕事の一つひとつに、私たち花房を育てていただいたように思います。
愛知エリアでファミーユの花祭壇を制作している花業者は、花房を含めて6社ありますが、これからも一丸となってお手伝いさせていただき、ともに成長できたらと願っています。
株式会社 熊本リビング新聞社(熊本県)
編集長 松田 恵美子(まつだ えみこ)さん
熊本市内で毎週27万部配布される生活情報紙「リビング熊本」を発行しています。弊紙に「家族葬のファミーユ」の新ホールオープンをはじめ、終活セミナーや相談会、遺影撮影会、人形供養といったイベントのご案内などの掲載にあたり、熊本支社を訪れる機会があります。
訪問の際はいつもあたたかく迎えていただき、掲載の内容だけでなく、「地域のみなさんにファミーユを身近に感じていただき、お役に立ちたい」といった想いも話してくださいます。そんな想いが、さまざまなイベントのアイデアにつながり、多くの方の心に届いているのだと感じます。
熊本では「人形供養といえばファミーユ」というイメージが定着しています。今では他の葬儀社でもこぞって実施されるようになりましたが、その中でもファミーユさんは、壊れてしまったお人形だけでなく、手元には残っていないお人形の供養も提案されています。お人形の魂とお別れする気持ちがあれば、姿形はなくとも供養できるという考えを伺った時には、驚くと同時に、ファミーユさんらしい発想だと感心しました。
終活相談会などに来場される方たちは、初めは緊張して不安げな様子でも、ファミーユのスタッフさんと話すうちに明るい表情になっていきます。親身になって話を聞いてくださるスタッフさんに信頼をよせ、「この人たちなら、自分や家族の最後を安心してまかせられる」と感じていらっしゃるのではないでしょうか。
熊本市内には2021年6月現在17のホールがありますが、地域のみなさんに愛される「わが町のファミーユ」が、さらに発展していくことを期待しています。そして、これまで通りの心のこもったおもてなしと、細やかな気配り・目配りで、熊本の生活者を支えていただけたらと思っています。
南﨑茶業株式会社(宮崎県)
代表取締役 南﨑 常倫(みなみざき つねみち)さん
明治2年から約150年にわたり、都城茶を守り育てる「南﨑常緑園」を営んでいます。私は6代目当主となりますが、先代と「綜合葬祭みやそう」の創始者・高見忠典さんが親しい間柄だったご縁から、会葬品などのお茶のギフト、各ホールに備えるティーバッグなどを納めています。
みやそう時代には高見忠典元代表の発案で、お茶の平袋を包むあららぎ袋をオリジナルで制作したことがありました。それまでは既製の包装資材を使用していたのですが、「みやそうならではのあららき袋を」と熱望されてプロジェクトが発足。紙問屋や印刷会社、書道家などのメンバーが集まって議論を重ね、制作の現場にも足を運びました。
そうして完成したのが、みやそう会館のイメージを表す緑色の濃淡が美しく、当時の理念だった「花一輪のやさしさを」のメッセージをあしらった、こだわりのあららぎ袋です。封かんのシールまでオリジナルでつくりました。
「お葬儀文化」を大切にし、「悲しみに沈むご家族がやすらぐような『花一輪のやさしさ』を贈りたい」と願っていた創始者の想いは、「家族葬のファミーユ」にも受け継がれていると感じます。宮崎市にファミーユ初となる「大塚ホール」が完成した時には、志は変わることなく、「家族葬」という新たなスタイルの葬儀が求められる時代になっていくことを実感しました。
現在は宮崎市内に22のホールがあり、さらに少人数の小さな葬儀に適した別館モデルなど、時代とそこに生きる人々によりそったコンセプトのホールやサービスにも挑戦を続けておられます。これからも地域に密着し、地域のご家族に安心を提供していただくことを期待しています。
(株)家族葬のファミーユ 千葉支社
池田 悠莉(いけだ ゆうり)
2021年に「家族葬のファミーユ」に入社しました。現在は葬祭ディレクターになることを目指して、千葉支社で葬儀全般の知識を学んだり、ホールアテンダントの基本的な業務を覚えたり、葬儀施行の補佐を務めたりといったOJT(実務トレーニング)に励んでいます。
私が葬儀の仕事を志すきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災でした。当時はまだ10歳でしたが、地元・仙台市の津波の被害は今でも忘れられません。
市内の体育館などに、そのまま安置されていたご遺体を、葬儀社の方が駆けつけて、棺に納めてくださったことを報道で知りました。それが強く心に残っていて、自分も震災のような大変な状況の時に、人のために動ける仕事がしたいと思うようになったのです。
そして、冠婚葬祭を学べる専門学校に進学。学校の資料で震災時に納棺に駆けつけてくださった葬儀社が、家族葬のファミーユだったことがわかり、インターンを経て、ファミーユで働くことを決めました。
入社したばかりの私にできることは、今はまだ限られています。それでも、葬儀を終えたご家族をお見送りした時に、私の目を見て「ありがとう、本当にお世話になりました」と、声をかけていただいたことがありました。とてもうれしかった一方で、経験の浅い私であっても「葬儀のプロ」として見られていることを自覚して、身の引き締まる思いでした。
今後は葬儀の司会や施行など、ご家族と直接関わる機会も増えてきます。ご家族の期待に応えていけるように、これまで以上に努力して、会社の成長に負けないくらい、自分自身を大きく成長させるよう精進して参ります。
株式会社トップマーキング(北海道)
会長 太田 隆明(おおた たかあき)さん
「1日1組限定の貸切ホール」――「家族葬のファミーユ」のこのコンセプトを伝えられたときは、どんなデザイン・製作・施工をすればいいのか、悩んだことを覚えています。当時は「家族葬」という言葉も広く知られてはいませんでした。
それまでの葬儀場といえば、侘しい公民館のようなもの。時間で区切って何組も葬儀を行い、参列者は故人を偲ぶ間もなく帰宅の途につく。そんな従来の葬儀のイメージを払拭するように、重視したのが「おもてなし」の想いです。
ご家族にも、参列者にも、安らぎを感じていただけるように、木目を基調とした外装・内装を提案。ファミーユのスタッフの方々とともに、あたたかみのある空間づくりに尽力してきました。
実際に葬儀をされた方から「自宅のように過ごしやすい」といった声が聞かれたり、参列者がゆっくりとお別れの時間を過ごされている姿を見たりすると、お役に立てているようでうれしく思います。近年は、ファミーユのホールによく似た葬儀場が増えてきていると感じます。
米Appleの創業者である故スティーブ・ジョブズ氏は、かつてスタンフォード大学で未来を担う若者たちに「死は生命にとって唯一にして最高の発明だ」と語りました。最高の発明と生きた証の最後で最大のイベントが「葬儀」です。
その大切な葬儀をご家族の意向をくみとって支える仕事は、大変な一方でやりがいのある仕事でもあるでしょう。これからもご家族によりそう最高の葬儀のために、500ホール、1000ホールを目指して邁進してください。私たちも変化する「家族葬」のニーズに応えていけるよう、積極的に学びながら貢献したいと思っています。
株式会社コープサービス 葬祭事業部(東京都)
海老原 晋司(えびはら しんじ)さん
千葉エリアにて、私ども「生活協同組合(生協/COOP)」に加入していただいている組合員様に、葬儀社や葬祭サービスのご紹介を行っています。
お取引のある葬儀社は50社を超えていますが、「家族葬のファミーユさん」は、ご家族の希望にできる限り応えようと、事前にさまざまな備えや配慮をされている印象が強くあります。例えば、ご家族から要望があった「エンバーミング」に対応していただいた時は、ご家族にとても喜んでいただけました。
エンバーミングは、故人様のお体を衛生的に保ち、生前のお姿に近づける施術のこと。長期的な保存が可能になるためお別れの時間をゆっくりと確保することができ、ご家族の気持ちを癒やすグリーフケアとしての側面もあるものです。
このエンバーミングに対応できる葬儀社はまだ少ないのが現状ですが、ファミーユさんは常日頃、ご家族によりそったサービスを心がけ、実際に提供されている。その徹底した姿勢は素晴らしく、私どもも安心して組合員様をご紹介できています。
ファミーユさんでの葬儀を希望される組合員様も増えており、各地域にファミーユの家族葬ホールが展開されていくことは、私どもにとっても、組合員様にとっても、有益なことだと思っています。今後もさらにホールが増え続けていくことを期待しています。
精華町社会福祉協議会(京都府)
事務局長 杉山 典寿(すぎやま のりひさ)さん
2018年にきずなグループの一員となった「花駒」の上野雄一郎社長と私は、精華町で生まれ育った幼なじみ。高校からは別々の進路を歩んでいましたが、社会人になってから互いに地元で働くようになりました。
精華町では毎年秋に「せいか祭り」が開催されます。花駒さんは2011年のせいか祭りに出展された際の売り上げを、東日本大震災で被災された方々のために寄付されました。それを契機に、愛着のある精華町でも地域貢献をしていきたいとおっしゃって、以後のせいか祭りでの売り上げを、精華町の高齢者が使用する車いすなどの福祉用具のために寄付してくださっています。
また、2013年からは毎年、花駒さんと私たち精華町社会福祉協議会との共催で「いのちのリレーまつり」を実施しています。当初は「終活フェア」と題していましたが、より広義に、いのちの大切さを考え、感じられるイベントにしたいという想いから名称を変更。終末期にまつわる映画上映やパネルディスカッションなど、その年によってさまざまな企画を考えています。
「最期の時」は誰にも必ず訪れますが、それがいつかはわかりません。わからないことが、不安につながることもあります。花駒さんはそんな不安によりそって、地域のみなさんが構えずに相談できるような機会や場所を提供してくださっています。そうした地元に根差した活動が、地域のみなさんの安心感につながっているように思います。
花駒さんにはこれからも、地元・精華町での絆を大切にした活動を展開していただくとともに、きずなグループとしてさらに発展されることを願っています。
(株)家族葬のファミーユ 宮崎支社
顧問 岩下 澄久(いわした すみひさ)
1978年に「綜合葬祭みやそう」に入社して以来、40年以上にわたって葬祭業一筋に歩んできました。その間、事業承継や社名変更はあったものの、葬儀に対する想いや姿勢は一貫して変わっていません。
みやそうの創始者・高見忠典元代表は「一人ひとりの人生が異なるように、葬儀も一人ひとり異なるべきだ」という信念をもっておられました。その信念は、現在の「家族葬のファミーユ」が掲げる「お葬式を家族のものに。」というメッセージにも息づき、着実に実現に向かっていることを、とてもうれしく思っています。
このたびの100ホールオープンの第一歩となった「ファミーユ大塚」の出店にあたっては、近隣にお住まいの方々から異論を唱えられましたが、何度も膝詰めで説明し、寄せられる不安や疑問に耳を傾け、丁寧に回答して、理解を得られるように尽くしました。
2000年当時は、葬儀ホールといえば駅前大規模会館の時代。「ご家族のための小さな斎場」など見たこともなく、住民の方々が「住宅地に葬儀場なんて」と懸念されたのは無理もありません。しかし、完成後、地域のみなさんを内覧会にお招きすると、強固に反対されていた方もご参加くださり、「私の葬儀も頼むよ」とおっしゃっていただきました。それまでの努力が報われた瞬間でした。
それから今日にいたるまで、宮崎のホール数も大幅に増加。地域の多くのみなさんにご利用いただき、育てていただいていることに感謝しております。
同業他社が追随するなかでも「家族葬」の原点を忘れず、ファミーユが培ってきた信頼や絆の輪がさらに広がっていくように、微力ながら創業の地・宮崎で、旗振り役を務めていく所存です。
「家族葬のファミーユ」「花駒」「備前屋」の3社からなる
きずなグループが運営するホール数は、おかげさまで100に到達しました。
1つの節目を迎えるにあたり、これまで支えてくださった関係者のみなさまから、
心に残るエピソードや、今後に期待を込めたメッセージをいただきました。
ともに歩む仲間・スタッフからも、さらなる価値提供に向けた志や抱負を聞きました。
フリーアナウンサー(宮崎県)
坂井 淳子さん
エフエム宮崎を退社後、フリーランスのアナウンサーとしてラジオ番組を中心に活動を続けています。仕事柄、結婚式の司会を頼まれることは多いのですが、葬儀関連で仕事をすることはまずありません。ですから「家族葬のファミーユ」さんから文化講演会の司会のお声がけをいただいた時は、正直なところ驚きました。
続きを読むセレモニーフラワー 花房(愛知県)
代表 間瀬 直さん
生花祭壇を設計・制作している「セレモニーフラワー 花房」は、2009年から「家族葬のファミーユ」愛知支社が管轄する4つのホールで花祭壇を担当しています。 他の葬儀社からの依頼も受けていますが、ファミーユの花祭壇のオーダーは、他社とは一線を画しています。例えば、あるディレクターから「花祭壇で『宇宙』を作れませんか?」と相談された時には、さすがに「宇宙ですか!?」と驚きました。
続きを読む株式会社 熊本リビング新聞社(熊本県)
編集長 松田 恵美子さん
熊本市内で毎週27万部配布される生活情報紙「リビング熊本」を発行しています。弊紙に「家族葬のファミーユ」の新ホールオープンをはじめ、終活セミナーや相談会、遺影撮影会、人形供養といったイベントのご案内などの掲載にあたり、熊本支社を訪れる機会があります。 訪問の際はいつもあたたかく迎えていただき、掲載の内容だけでなく、「地域のみなさんにファミーユを身近に感じていただき、お役に立ちたい」といった想いも話してくださいます。そんな想いが、さまざまなイベントのアイデアにつながり、多くの方の心に届いているのだと感じます。
続きを読む南﨑茶業株式会社(宮崎県)
代表取締役 南﨑 常倫さん
明治2年から約150年にわたり、都城茶を守り育てる「南﨑常緑園」を営んでいます。私は6代目当主となりますが、先代と「綜合葬祭みやそう」の創始者・高見忠典さんが親しい間柄だったご縁から、会葬品などのお茶のギフト、各ホールに備えるティーバッグなどを納めています。
続きを読む(株)家族葬のファミーユ 千葉支社
池田 悠莉
2021年に「家族葬のファミーユ」に入社しました。現在は葬祭ディレクターになることを目指して、千葉支社で葬儀全般の知識を学んだり、ホールアテンダントの基本的な業務を覚えたり、葬儀施行の補佐を務めたりといったOJT(実務トレーニング)に励んでいます。
続きを読む株式会社トップマーキング(北海道)
会長 太田 隆明さん
「1日1組限定の貸切ホール」――「家族葬のファミーユ」のこのコンセプトを伝えられたときは、どんなデザイン・製作・施工をすればいいのか、悩んだことを覚えています。当時は「家族葬」という言葉も広く知られてはいませんでした。
続きを読む株式会社コープサービス 葬祭事業部(東京都)
海老原 晋司さん
千葉エリアにて、私ども「生活協同組合(生協/COOP)」に加入していただいている組合員様に、葬儀社や葬祭サービスのご紹介を行っています。 お取引のある葬儀社は50社を超えていますが、「家族葬のファミーユさん」は、ご家族の希望にできる限り応えようと、事前にさまざまな備えや配慮をされている印象が強くあります。例えば、ご家族から要望があった「エンバーミング」に対応していただいた時は、ご家族にとても喜んでいただけました。
続きを読む精華町社会福祉協議会(京都府)
事務局長 杉山 典寿さん
2018年にきずなグループの一員となった「花駒」の上野雄一郎社長と私は、精華町で生まれ育った幼なじみ。高校からは別々の進路を歩んでいましたが、社会人になってから互いに地元で働くようになりました。
続きを読む(株)家族葬のファミーユ 宮崎支社
顧問 岩下 澄久
1978年に「綜合葬祭みやそう」に入社して以来、40年以上にわたって葬祭業一筋に歩んできました。その間、事業承継や社名変更はあったものの、葬儀に対する想いや姿勢は一貫して変わっていません。
続きを読む私たちきずなグループが大切にしてきたのは、地域に根ざし、ご家族によりそうこと。
儀礼儀式にとらわれることなく、その人らしいご葬儀を ──。
「家族葬」に込めたこの志は、100ホールを達成した今も、これからも変わることはありません。
大切な人を心ゆくまで偲ぶ時間と空間を、より多くの地域に広げていく。
私たちは家族葬のパイオニアとして、さらなる前進をつづけてまいります。
地域に根ざした歩み
全国にネットワークを広げるきずなグループが、
各地域で重ねてきた歴史をご紹介します
2011年4月、GEN株式会社からファミーユみなみ(現・ファミーユ川沿)を譲受。その後札幌市内で続々とホールを増やし、11年目の2021年3月「ファミーユ北37条東」オープンで18ホールに到達。
2004年10月、首都圏初出店となる「ファミーユ松戸」「ファミーユ西船橋」をオープン。東葛・京葉エリアを中心に拡大して17年目の2021年3月「ファミーユ船橋宮本」オープンで18ホールに到達。
2005年10月、横浜市南区に「ファミーユ久保山」をオープン。地域に密着した家族葬ホールとして16年目をむかえる。
2001年7月、刈谷市にて「株式会社刈谷葬祭(後の株式会社ファミーユ)」が葬祭事業を開始。2016年11月に(株)ファミーユから葬祭事業を譲受後、知多・西三河エリア中心に拡大。20年目の2021年4月「ファミーユ共長」オープンで14ホールに到達。
1964年、相楽郡にて「駒花店」が生花店として創業後に葬祭事業を始めた。1999年に社名を「花駒」と改めた。2018年4月のきずなグループ参画後、店舗数を2年で6ホールに倍増。2020年4月「ファミーユ宇治槇島」をオープン。
精華・木津川で57年以上の実績をもつ花駒が、奈良市に初出店。2021年6月にきずなグループ直営100号店となる「ファミーユ奈良押熊」をオープン。
1970年6月、瀬戸内市にて「有限会社備前屋(現・株式会社備前屋)」創業。51年目の2021年2月きずなグループに参画。ご家族の”絆”を大切におもてなしする「オブジェ会館」3ホールを展開。
1960年3月、宮崎葬儀社(後の綜合葬祭株式会社みやそう)創業。地域によりそう活動で親しまれ、62年目をむかえる。2000年10月にファミーユホール1号店「ファミーユ大塚」をオープン。2020年12月「ファミーユ大坪」オープンで22ホールに到達。
2006年12月、熊本エリア初出店となる「ファミーユ花立」オープン。15年目の2021年6月「ファミーユくまなん」オープンで、熊本市内の家族葬ホール展開最多の17ホールに到達。
タレント(熊本県)
山内 要さん
葬儀社勤務の経験を活かし、ファミーユ専属の終活アドバイザーに。終活落語などのイベントをお手伝いしています。街中で年配のご夫婦に「ファミーユでの葬儀を故人もきっと喜んでいます」と声をかけられ、握手をされた時の力強さとあたたかさが忘れられません。これからもファミーユと地域のみなさまとの架け橋になるよう尽力していきます。
(株)家族葬のファミーユ 都市総合支社
政田 礼美
2010年に女性葬祭ディレクター第1号生として業務に就いた時は、全国30ホールほどの規模でした。10年の時を経て支社と頼もしい仲間が増え、花駒・備前屋と地元に根づいた同志と力を合わせられるようになったことは、会社として着実に成長している証だと、従業員として誇らしく思っています。今後も成長の一翼を担えるように努力します。
株式会社イケダプランニング(熊本県)
代表取締役 池田 憲昭さん
これまでに多くのホールの改修・改装、新築工事に携わってきました。そのたびに敬服するのが、ファミーユのご家族を第一に考える姿勢です。ホールを利用されるご家族がどうしたら心安らぐ時間を過ごせるかを追求していく工夫や配慮は、私どもにも勉強になります。さらなる躍進を遂げられるよう、今後も全力でサポートさせていただきます。
(株)家族葬のファミーユ 熊本支社
桂 ありさ
入社間もない頃、お一人でのご葬儀に不安を感じていらしたご家族に「ご家族の悲しみを、家族のように分かち合います」などファミーユが掲げる「7つの約束」をお伝えし、安心していただけたことがありました。家族葬が急拡大する今、パイオニアとしてその意義や価値を伝えていくことは、ファミーユの大きな役割だと自負しています。
株式会社花駒(京都府)
代表取締役 上野 雄一郎
2018年に合併によりあたたかく迎え入れていただき、今では社員一同、きずなグループの一員としての自覚をもってホール運営・出店にあたっています。現在の7ホール体制からさらに地域に貢献できるように、近畿で最も「地域いちばん店」をもつ葬儀社を目指します。理念や志を同じくするきずなグループでなら実現できると確信しています。
(株)家族葬のファミーユ 宮崎支社
北林 教義
多くの方に支えられて達成できた100店舗オープン。着実に店舗を展開する上で欠かせないのは「ご葬儀に対する徹底したこだわり」を共有すること。新人スタッフには特に「やり直しのきかないご葬儀だからこそ、つたなくても、ご家族に心が伝わる気遣いを」と訴えてきました。スタッフの努力と成長に感謝を忘れず、前進していきます。
株式会社備前屋(岡山県)
代表取締役 岡本 洋子
2021年にきずなグループに加わり、10月には早くも中国地方初の「家族葬のファミーユ」直営店をオープンする運びとなりました。経営理念や葬儀への想いが当社と似ていることに共感してつながったご縁。瀬戸市内の「地域いちばん店」として50年以上の実績を活かしてファミーユブランドの浸透を進め、「岡山県のいちばん店」を目指します。
(株)家族葬のファミーユ 千葉支社
服部 恵津子
2014年に入社してから、千葉支社のホール数は7から18へと2倍以上になりました。新店準備は大変なこともありますが、スタッフ一同が力を合わせてオープンを果たした時は達成感で満たされます。大切なのは「スタッフの和、思いやり、笑顔」です。それが地域のみなさまに伝わり、さらなる拡大につながる絆になると信じています。
株式会社宮崎放送(宮崎県)
営業部長 木許 慎一郎さん
2020年11月、オープンしたての「恒久ホール」で実施した、ラジオ番組『家族葬のファミーユ 武坊・淳子の土曜もGO!GO!』の公開収録では、宮崎支社長はじめスタッフのみなさまのご尽力やご配慮に感激いたしました。今後も「家族葬」にまつわる想いや情報をお届けし、「家族の絆、人の絆をつなぐ」場を広げるお手伝いをさせていただきます。
(株)家族葬のファミーユ 愛知支社
平野 まり子
ご葬儀で車イスを利用されていた喪主様を介助。その方が数年後に逝去され、再びご葬儀に携わりました。その際、故人様が生前に「感謝の気持ちを伝えたかった」と何度もおっしゃっていたとご家族から伺い、日々ご家族の目線で行動してきたことが間違いではなかったと思えました。これからもご家族によりそったお手伝いができたらと思います。
株式会社ハース・ジャパン(愛知県)
取締役 西井 薫さん
2018年からファミーユ愛知支社の夜間搬送を承っています。ファミーユで印象深いのは、以前にご葬儀をお世話された担当者を憶えていて、指名で依頼するご家族が多いこと。スタッフの方々の親身な対応がうかがい知れます。私たちもその一端を担うべく、ご家族によりそったあたたかい対応を心がけ、責任をもって業務にあたって参ります。
(株)家族葬のファミーユ 北海道支社
横山 麻里
今も心に残る出来事があります。生花にアレルギーがあるご家族の葬儀で、せめてもの気持ちを込めて編んだ毛糸のお花を贈ったところ、ご家族が感動と感謝のお言葉を伝えてくださいました。「常に思いやりをもって行動すること」が私たちの信念。これからもご家族の声に耳を傾け、親身によりそい、深い信頼関係を築いていくよう邁進いたします。
深水建築設計事務所(熊本県)
代表 深水 智章さん
2014年の邸宅型家族葬ホール「弔家の灯 宮崎駅東」の設計からのお付き合いです。今では宮崎、熊本の両県で設計を承っていますが、地域性を丁寧にリサーチされ、住民の方々のニーズに対応できていて素晴らしいと感じます。葬儀のスタイルは多様化していくと思いますが、故人とご家族が最期に過ごす心地よい場所が増え続けることを願っています。
株式会社エスデー建設(北海道)
常務取締役 山田 敏弘さん
店舗の施工管理では通常、コンセプトをしっかりと把握するまでの打ち合わせやプランの決定に時間がかかり、厳しい日程になりがちです。しかし、ファミーユの場合は、店舗開発部の迅速な対応と配慮によってスムーズに施工が進められ、当初はとても驚きました。おかげで最良のホールを完成させ、利用者のお役に立てることを誇りに思っています。